「植松は時代の子」とはどういう意味か

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Photo by Taylor Flowe on Unsplash

ドキュメンタリー映画「リリアンの揺りかご」を制作した神戸金史さんは、前身となるドキュメンタリー番組「SCRATCH 線を引く人たち」の制作中に取材先から「植松は時代の子だ」と言われたことがあります。ここでいう「時代の子」とはどういった意味なのでしょうか。

「時代の子」とは、その時代の流行や構造や価値観さえも色濃く反映する人、その時代によって育てられ象徴にまでなった人間を指し、「時代の申し子」とも言います。時代の子とだけで検索すると、植松なんぞと並べては無礼に値する名前の数々が挙がってきます。

「植松は時代の子だ」と説いたのは、北九州の東八幡キリスト教会でホームレス支援に携わる奥田知志さんです。やまゆり園事件が起こった時、奥田さんは「いつかこういう時代が来るのではないかと思っていた。嫌な予感が的中した、これから何が起こるか危惧せざるを得ない事件だった」と感じていました。

植松は自分の「生産性」を証明しようと「生産性なきもの」の排除に執着し、その計画に政府が賛同してくれると本気で信じていました。政府や社会が認めてくれると本気で信じていました。それを植松ひとりの思い込みと断じてしまえばそれまでですが、社会の方にも誤解を招く要因があったのではないでしょうか。今もなお「かよわい行政に理解のあるオレ」が、福祉予算など要らぬと喚き散らしています。

広がる経済格差と、それに伴う自己責任主義の蔓延。一面的な基準で人間の価値を測る傲慢で視野の狭い社会。そこで形成された「時代の子」が植松という訳です。しかし時代が「時代の子」を生んでいる以上は、現代を生きる我々もまた例外なく「時代の子」です。

植松とは人間の常識や倫理の外から現れたクリーチャーではなく、社会全体で共有されていた暗い共通認識ばかりを見て喰らってモンスターと成り果てた存在。「時代の子」という表現は、植松ひとり切り離したところで解決などせず、寧ろ次のモンスターを生み出す土壌を放置するだけだという厳しい意見の表れかもしれません。

参考サイト

殺人実行者との対話 記者として、障害児の父として(後編②)
https://note.com

遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

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