双極性障害で措置入院からの脱出~退院後はハイハイでトイレへ

双極性障害(躁うつ病)

出典:https://www.photo-ac.com

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31歳で躁状態になり措置入院してからの体験談をお話ししたいと思います。

措置入院からの脱出

措置入院で拘束されていたころのことは、強い憎しみと二度とあんな目にあってたまるか、という思いしかありません。隔離室から閉鎖病棟に移って初めて周りのことが見えてきました。当時私がいた閉鎖病棟は、男性と女性と棟が分かれていて、2つの棟がつながるところが娯楽スペースといった感じでした。テレビが2台とテーブルと椅子があるだけでしたが、隔離室の身体拘束から逃れられただけでもかなり気分が違いました。中学時代から女性で群れるのが苦手でしたので、おもに男性と話していました。男性といるほうが楽でした。入院女性に「男好き」と言われたこともあります。閉鎖病棟と言っても、段階を踏むと1日2時間ほど自由時間がありました。家にいるのがあんなに嫌だったのに、往復1時間以上歩いて家まで帰ってました。家には自由時間の都合上10分もいられませんでしたが、家が恋しくて仕方なくなっていました。閉鎖病棟で初老男性と仲良くなりました。その男性が開放病棟に移動してからも自由時間におしゃべりをしていました。入院して1ヶ月半が経過したころ、事件は起こったのです。

開放病棟で自殺者が発生

開放病棟に移動した顔見知りと同室者が自殺しました。その話を聞いて私は怖くなりました。このままこんなところにいつまでもいたら、私も自殺するんじゃないか、と思ったのです。めまいや耳鳴りがひどかったときに、駅のホームに立っていると、線路に吸い込まれそうな感覚になったことはあります。親より先に死ぬことは「逆縁」と言い、最大の親不孝と言われています。とくに母には私しかいないので、どんなにつらくても死ぬという選択肢はありませんでした。阪神・淡路大震災を経験しているので、サバイバル能力がついたというか、死んでたまるかと考える、負けず嫌いな人間です。今の閉鎖病棟から解放病棟に移動もできない、こんなところでいつ退院できるかもわからない。せっかく苦労して難しい国家資格試験に合格したのに、こんなところに閉じ込められて人生お先真っ暗だ。家で自殺したら事故物件になるし、発見者が母になる。でも病院ならという変な計算も働きました。医師にこのまま入院してたら自殺するかもしれない、と言ったら、即、退院となりました。え、こんな簡単にここを出れるの?と逆に驚いたぐらいです。とにかく閉鎖病棟から脱出できることになりました。

ハイハイでトイレへ寝たきり生活

家に帰りさえすれば、こっちのものだと思いました。ところが、そんなにうまくはいかなかったのです。私は寝たきりになってしまいました。病院にいた間はとにかく動き回っていました。往復1時間以上かけて歩いて家に帰ってきてました。それなのに、起き上がることさえできなくなったのです。力がとにかく入らないのです。目をあけて横たわっているだけでした。トイレには赤ちゃんのようにハイハイして行きました。膝が赤くすりむけてしまいました。伝い歩きもできなかったのです。夜眠っているので特に寝不足なわけでもなく、昼間はただ横になりラジオを聴いていました。とても情けない気持ちでした。ただただ涙が流れてきました。

今考えると「激しい躁状態からのうつ状態」になっていたのだと思います。あまりにも激しい躁状態だったので、反動も大きかったと思います。双極性障害との診断名がくだされるのは、まだまだ先の話になります。

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参考文献

「双極性障害(躁うつ病)とは?うつ病とは違う!その症状や原因、治療法は」
https://shohgaisha.com

「北杜夫と双極性障害?家族とともに歩んだ日々」
https://shohgaisha.com

フジコ

フジコ

31歳のときに双極性障害を発症して入院し、8年後の夏オリンピックのときに再発入院。
また8年後に躁状態になったが自発的に対処できたため入院はせず。
その後主治医の許可が出たため、現在は就労移行支援施設で訓練中。
障害を隠して仕事をしてきたが、障害者雇用枠での長期就労を目指す。

双極性障害(躁うつ病)

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