注意欠陥障害と言われてから障害を受け入れるまで

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出典:https://www.photo-ac.com

注意欠陥障害と向き合うことについて、私の体験談をお話して行きたいと思います。

発達障害と気付くまで

私が発達障害の診断を受けるきっかけとなったのは、以前受けた診断結果が注意欠陥障害という障害があると診断されていたからです。

時は遡って今から6年前になります。当時私は大学1回生で中退してしまいました。友達関係は大学に同じ高校の同級生がいたのでそれほど苦労はしなかったのですが、滑り止めの大学に周りが行くからという感じで入ったので、面白くなく今自分のしたいことはこれでは無いと悟り、講義をさぼるようになりました。当時原付免許を取得して間もなかったので、バイクに乗るのが楽しく色んな所を走りにいっていました。それを機に学校にも行かなくなり、何も考えずに大学を中退してバイト暮らしの日々となりました。

バイクに乗る機会が多くなるにつれてスピード超過などの違反や怪我が増え、両親に心配され出しました。何度も注意された事を繰り返すので、一度精神科に見てもらって来いと言われ、診断を受けに行きました。

発達障害と初めて診断された時

診断内容は、幼少期の頃どんな子どもだったかと今現在の行動を比べる質問をされ、それを答えて行くというものや積み木を使ってある形を作ったり、数字を暗唱したりする内容でした。その診断結果は注意欠陥障害というものでした。

注意欠陥障害とはいわゆるADHDというもので一種の発達障害です。医者からは基本的に注意力が散漫になったり、自分のやりたい事が最優先になってくると言われ、周りに心配されている事そのものだと感じました。ですがその頃の私はというと、そこで悲観的にはならずにそんなの誰にでもあると思い投薬もせず、そのまま注意しなければいけないところだけを上手く対処していけば良いと楽観的に思い込んで過ごしていました。

発達障害と気付き初めて自覚するまで

そんな中キチンと就職もして町工場に入社し働いている時でした。入社してしばらくは難なくこなせていて仕事も楽しいと感じていたのですが、作業をしている内に段々と色んな人から怒られる回数が多くなってきました。

その原因は、作業内容が急激に変わり段取りも一気に変わってしまったということでした。だんだんと業務の難易度が格段に難しくなってきたことで色んな人から教えてもらえるのは良かったのですが、結局は優先順位がつけられず誰から教わったものをすれば良いのか分からなくなり、今まで出来ていた事も次第に自信をなくして出来なくなることが原因でした。

その頃から日に日に頭の中にモヤみたいなのがかかり、思考力や記憶力も低下していきました。そこで会社にこれ以上働くと作業の衰退だけでなく、大きな事故につながると感じ退職しました。親に精神面の事を相談すると、もう一度精神科を受けた方が良いと助言され診断を決意しました。

仕事を辞めた影響か、元々自分探しが好きだからか、以前受けた診断内容と似ていたのもあって診断時は少し楽しみながら受診しました。結果は言うまでもなく発達障害と診断され、その中にうつ状態と社交不安障害が診断されました。

社交不安障害とは特定の条件になると出てきてしまいます。例えば、苦手な上司に萎縮してしまい挨拶しようとしても声が出ないや、職場に行くのが嫌で日曜日の夜は眠れなくなったりしてしまう障害です。例を私の経験で挙げさせていただきましたが、症状は人それぞれです。分かりやすく言うと、トラウマみたいなものだと捉えて頂ければ良いと思います。私は在職中に発症していまい、普段の生活には影響が出ないので勘違いされて、かえって非常に辛い体験をしました。

診断された時の心境は大体覚悟していたので特にショックではなかったです。むしろ自分の事が知れて、向き合い方を知れてよかったと思っています。今現在はネットで見つけた就労移行支援事業所を利用し、主治医の先生、障害に理解のある方と共に就職活動に専念しています。

最近ある人から聞いた言葉で、「嫌な事や嬉しかった事など体験した事全てが最終的にはなりたかった自分になる為の過程だ!」という言葉を聞き、それを励みに頑張っています。最後まで拝見頂きありがとうございます、そして自分を受け入れる事も大切だと言う事も感じて頂けると嬉しいです。

産まれたての小鹿

産まれたての小鹿

病名:発達障害(自閉症と注意欠陥)と軽い鬱
趣味:バスケットボール、漫画鑑賞、釣り
好きな芸能人:藤原達也
好きな言葉:自分を信じる

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