自閉症スペクトラム障害がある私の生きづらさ

発達障害

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自閉症スペクトラム障害 (ASD) がある人は、社会性の障害、コミュニケーションの障害、想像力・創造力の障害という「三つ組の障害」を抱えており、それらによる様々な生きづらさを日々感じています。今回は、自身が体験したエピソードを通して、ASDがある私の生きづらさをお伝えしたいと思います。

はじめに

私は自閉症スペクトラム障害 (ASD) を抱えていますが、注意欠陥多動性障害 (ADHD) や学習障害 (LD) は併存していないので、生きづらさの原因となるのは、ASDの「三つ組の障害」と言われる社会性の障害、コミュニケーションの障害、想像力・創造力の障害です。以下に、ASDによる私の生きづらさを「三つ組の障害」の分類に従ってお伝えさせて頂こうと思います。

社会性の障害による私の生きづらさ

私が抱える社会性の障害のうち、最も顕著なものは、「暗黙の了解を理解するのが難しい」ことです。この障害特性については、次のような2つのエピソードがあります。

1つ目は、私が大学3年生だった時のことです。当時一人暮らしをしていた私は、ある日突然、自炊をしようと意気込んで野菜炒めを作ろうとしたことがあったのですが、その時に油が飛んで、眼鏡に細かい傷がたくさんついてしまいました。「どうしよう!」と激しく動揺した私は、「購入後1年以内に眼鏡に不具合があった場合は、無償で新しい眼鏡に取り替えます」という眼鏡ショップからもらった保証書があることを思い出し、早速、保証書を持って眼鏡ショップに直行しました。眼鏡ショップの店長に事情を説明すると、「家で野菜炒めを作ろうとして、油が飛んで眼鏡に傷がいっぱいついたので、どうしてくれるんだ、なんてナンセンスにも程がある」という内容のことを言われ、大笑いされました。結局、その店長は有償で新しい眼鏡を作ってくれましたが、さんざん馬鹿にされてしまいました。当時の私は、「購入後1年以内なら無償で新しい眼鏡に取り替えます」という保証書の文言を文字通りに受け取っており、「保証書」の意味が理解できていなかったのです。

2つ目は、8年前の教育実習でのことです。指導教諭の授業を見学する前に「今日は、よろしくお願い致します」、授業を見学した後に「授業を見学させて頂き、ありがとうございました」と言わなかったため、その指導教諭にひどく怒られたことが何度もありました。「その都度、相手に挨拶をするのが、社会人として当然の礼儀である」という「暗黙の了解」を当時の私は知らなかったのです。

同様のミスを今年の8月にもしてしまいました。あるセミナーに参加する前に、就労移行支援事業所のスタッフと待ち合わせをし、セミナーの最中はそのスタッフは後ろの席で私の様子を見ていたのですが、私は集中してセミナーを聴いていたので、セミナーが終わると、「本日はありがとうございました」と挨拶をせずにそのまま帰ってしまったのです。そして、家の最寄り駅の隣の駅に着いたぐらいの時間に、そのスタッフから電話でそのことを指摘されました。

このように、失敗を経験すれば、「これは暗黙の了解なのだ」と理解し、学習することはできますが、これでは、暗黙の了解の多くを網羅するのは難しいと思います。ASDがある私には、「社会には暗黙の了解がある」ということ自体が今一つ理解できていません。眼鏡ショップの例からも分かるように、失敗した時に「これって、暗黙の了解なの?」と思って驚いてしまうことが多いです。発達障害がない人なら説明されなくても分かっていることを、失敗を通して一つ一つ学習しなければならないことが、社会性の障害による私の生きづらさです。

コミュニケーションの障害による私の生きづらさ

私が抱えるコミュニケーションの障害のうち、最も顕著なものは、「非言語的な情報(表情やしぐさ、声のボリュームやトーンやイントネーション)から相手の感情を読み取るのが難しい」ことです。

私は、自分の感情や機嫌にしたがって、相手と親しく話そうとしたり、距離を置こうとしたりする障害特性があります。相手との距離を縮めたり遠ざけたりする時に、相手の感情や機嫌を考えることがあまりできないのです。小学生・中学生の時は勿論、高校生になっても、自分が仲良くしたいと思った相手に接近しすぎ、怒らせることがありました。「この人と仲良くなりたい」と思う気持ちが強すぎるあまり、相手の感情を考えずに一方的に冗談を言うこともありました。

勿論、40年以上生きてきた経験がありますので、今は相手に不自然に冗談を言って馬鹿にされることはありませんし、相槌の打ち方や傾聴の仕方、笑うタイミングなどのコミュニケーションのコツもある程度、身についていると思います。しかし、対人関係において、あからさまに不快感や怒りを表現されない限り、相手の感情や機嫌をあまり考えられないところは今もあまり変わっていないかもしれません。

発達障害がない人が、表情やしぐさ、声のボリュームやトーンやイントネーションといった非言語的な情報からある程度、相手の感情や機嫌を読み取り、その場に合った態度を取り、その場に合った発言ができるのに、私にはそれが難しいというのは、「発達障害がない周囲の人が目隠しをされていない状態でコミュニケーションが取れるのに対し、私は常に目隠しをされた状態でコミュニケーションを取らなければならない」という状況に似ていると思います。シチュエーションごとに挨拶などの内容をパターン化して丸暗記する方法もないわけではありませんが、この方法だと「暗黙の了解」の場合と同様に、多くのパターンを網羅するのは難しいです。コミュニケーションにおいて「目隠しをされた状態」なのが、私の生きづらさです。

想像力・創造力の障害による私の生きづらさ

私が抱える想像力・創造力の障害による生きづらさのうち、最も顕著なものは、「興味・関心の幅がかなり限定されている」ことです。私の興味・関心の幅は、イギリス文学や自己啓発本、1990年代後半から2000年代前半のJポップやバラエティー番組などの今までに慣れ親しんだ分野に限定されており、それ以外の分野にはあまり興味が湧きません。この障害特性は、今までに行ったことがある作業や慣れた作業には自信を持って一定の力を発揮できるのに対し、未経験の作業に対しては及び腰になり、後回しにしたがるという仕事上の困難さにも繋がると思います。

興味・関心の幅が狭いことで特に困るのは、政治・経済のニュースや時事問題にほとんど興味が持てず、興味が持てないからさらに分からなくなる、という悪循環に陥ることです。社会人として、政治・経済のニュースや時事問題が全く分からないのは、やはり恥ずかしいことだと思いますし、「将来、結婚して子どもが生まれたら、その子どもに何を教えられるのか?」と心配してしまいます。

しかし、外交関係における各国の思惑などがなかなか理解できないのは、対人関係において相手の感情や機嫌をあまり考えられないことに通じると思います。中学生の頃から、近現代史における各国の思惑を理解するのが苦手でしたし、大学受験の世界史では、年号や固有名詞を片っ端から暗記することだけで乗り切ったぐらいです。この障害特性は、対人関係において、自分の損得を計算して行動できないことにも繋がっていると思います。

「暗黙の了解」や「相手の感情を読み取ること」と同様に、丸暗記で対応する方法には限界があり、応用が利かないと思います。自分の興味・関心の幅を広げる工夫としては、政治・経済の分野ならば、新書の中で読みやすそうなものを何冊か読んで、苦手意識をやわらげ、徐々に「自分にも理解できる」という実感を得て、経験値を上げていく方法しかないと思っています。

私の生きづらさとは?

自閉症スペクトラム障害がある私の生きづらさは、端的に言えば、「パターン化・マニュアル化された知識やコツを覚えるのは得意だが、そのような知識やコツだけでは、その場その場に応じた適切な対応の仕方の多くを網羅することが難しい」ことと「失敗の経験を通して一つ一つを覚えていくしかない」ことです。発達障害がない人が当たり前のこととして分かっていて、出来ることの多くを知らず、それらを一つ一つ覚えていかなければならないのは、やはりしんどいです。

サンライズ

サンライズ

40代の男性。2年生で高校を中退。その年にメンタルクリニックを受診し、抑うつ状態と診断される。うつ病と闘い、自身の発達障害を疑いながら博士課程に進学するも、博士号は取れずじまいで単位取得満期退学。これを機に、それまで主治医の方針で「疑い」のまま保留になっていた自閉症スペクトラム障害の診断を受ける。現在は一人暮らし。趣味は読書、音楽(邦楽)観賞、YouTube、クイズ番組を観ること。

自閉症スペクトラム障害(ASD)

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