私達は分かりあえるのか〜障害者という立場から

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unsplash-logo Priscilla Du Preez

私達、障害者と健常者は互いに理解し合えるのでしょうか。障害者の苦しみを彼らは理解できるのでしょうか。また、彼らの苦しみを私達は理解できるのでしょうか。この問題は障害者と健常者の間だけの問題ではなく、「他人との相互理解は可能か」というとても大きな問題なのです。

他人と分かりあう?

私はよく、「他人に分かってもらいたかったら、相手のことを分ってあげなさい。」とか「他人の痛みを理解出来るようになりなさい。」と言われることがあります。私はLDという障害を持っています。そして、その中でも書難という障害特性を持っています。この特性の為、私は手書きで文字を書くことが非常に困難です。私はこの特性を他人に理解してもらうことに、とても苦労してきました。だからこそ思うのです。上で書いたように本当に他人と理解し合うことはできるのでしょうか。

他人の心は分からない

私は他人との相互理解は不可能だと考えます。なぜなら、他人の心の中は「想像」することしかできず、その「想像」の内容が実際に相手が心の中で思っている事と同じかどうか確かめる手段が存在しないからです。例えば、あなたの目の前に怪我をした人がいたとします。あなたにはその人の「痛み」を正しく理解することができますか。おそらく、理解できると答える方が多いと思います。しかし、残念ながら誰も正しく理解していないことでしょう。なぜならあなたは、あなた自身の「痛み」の記憶からその人の痛みを「想像」しているに過ぎず、その痛みは「あなたの痛み」であって目の前にいる「怪我をした人の痛み」ではありません。このように自分の経験や記憶から他人の心を「想像」することはできますが、本当の意味で他人の心を理解することはできないのです。

理解できないものと付き合っていく

本当の意味で他人の心を理解することができないとしても、私達人間は生きていくうえで他人と関わり続けないといけません。そして、他人と関わっていくためには、ある程度他人の心を理解することが求められます。では、本質的に理解できないものをどのようにして理解すればいいのでしょうか。結論から先に言いますと、正しく理解することは不可能です。しかし、他人の心を「想像」することはできます。そして、その「想像」の精度は100%にする事はできませんが、精度を上げること自体は可能です。

それでは、どのようにすれば「想像」の精度を上げることができるのでしょうか。ところで、皆さんは「想像」は何を元に作られているか覚えていますか。前章で書いたように「想像」は自分の経験や記憶を元に作られています。このことは自分の記憶や経験を増やすことで、より正確に他人の心を「想像」することができるようになることを示しています。つまり、沢山のことを学び経験することで、完全とは言わずとも他人の心を「想像」することができるようになるのです。

人と人とは本質的に理解し合うことはできません。しかし、多くのことを学び経験することで、その心の溝を狭めることができると私は信じています。

舞台装置

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LDと広汎性発達障害を抱えた文字を書くことができない20代男性です。書字障害がありますが、大学を卒業できましたし、コラムも書いてます。趣味は読書と芸術鑑賞あと作曲。最近、猫にケンカで負けました。

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