「メサイアコンプレックス」の傲慢さ

暮らし
Photo by Jon Tyson on Unsplash

心理学分野に「メサイアコンプレックス」という用語があります。メサイアとは救世主を意味する言葉で、自己肯定感の低さを人助けによって補おうとすることを指します。積極的な人助けの動機付けとなるなら良い事のように思えますが、自己承認欲求を満たすための人助けは救世主どころか破壊者になってしまうおそれがあります。

メサイアコンプレックスの主な弊害は、赤の他人に対して「毒親化」してしまうことに尽きます。実際に人助け出来ているうちはまだ良いですが、「人助けの出来る自分」という虚像が崩れそうになると様々な問題行動となって表れ、援助どころか逆に迷惑をかけてしまいます。しかもタチの悪いことに、医療・介護・心理・福祉といった援助職で働く人間さえも無意識のうちにメサイアコンプレックスに囚われることさえあるといいます。

コンプレックスを抱くまでの背景は様々ですが、どんな理由でなったにせよ「自分自身の問題と向き合い解決する」「本当の意味で自分が救われる」ことが脱却の糸口となります。逆に言えば、この領域に達していない人間がやれ援助だ支援だと息巻いてみても、迷惑にしかなりません。

メサイアコンプレックスで起こす問題

メサイアコンプレックスを抱える人間は、困っている(と見做した)人に対して毒親のように振る舞います。「あなたのためを思って」と縛り付け、上手くいかないと「お前の努力が足りない」と怒り、困り事が無ければ代理性ミュンヒハウゼン症候群のように困り事を作ります。

メサイアコンプレックス持ちの人助けは、すぐに崩壊します。正確には、「人助けの出来る自分」という虚像は簡単に崩れ、様々な問題行動へと発展します。そこへ至る以前に、スキルもないのに支援活動をやろうとするせいで不適切な支援にすら及ばない単なる搾取で終わることもあります。

課題を無理矢理探す

問題や生きづらさを抱える人々にしばしば首を突っ込みますが、それは「お節介」などと可愛いレベルではありません。共依存状態で解決を拒んだり、目の前の困っている人のために別の人へ迷惑をかけたりします。例えば、電車で立っている妊婦の為に普通座席の弱そうな人を恫喝して譲らせるなどです。

手柄を取られると怒る
「自分のおかげでこの人は救われた」というシナリオに拘るあまり、他の人が解決すると困っていた人共々逆恨みすることがあります。例えばexcelの操作で困っている人にアドバイスする際、専門用語ばかりの分かりにくい講釈を垂れていた傍で、別の人が分かりやすく説明して解決した場合です。きっと「手柄を横取りしやがって…。これで納得する奴も馬鹿だ」とばかりに憤怒と憎悪を内心で滾らせていることでしょう。

感謝されないと怒る
問題解決にほとんど貢献せず自己解決で済んだとしても、必ず感謝を陰に陽に求めてきます。メサイアコンプレックス持ちの援助は空回りしがちで、感謝すべき要素が無いことも多いのですが、それでも感謝の意を示されなければたちまちヒステリックに自分の手柄を主張することでしょう。当人が描く人助けのシナリオが最後の最後で崩れるので、感謝が無くても怒ります。

結果が出なければ責任転嫁
的外れな「支援ごっこ」では結果が出ず、思い描く人助けのシナリオが続かなくなることも多いです。そういう時は「自分は一生懸命頑張った。あいつが非協力的なのが悪い」と責任転嫁し、失敗を無かったことにします。反省のないまま自己流の支援を続けるので、また新たな問題を起こすことでしょう。

他人の話を聞かない
本当の支援者であれば周りの指摘やアドバイスも柔軟に取り入れる筈ですが、メサイアコンプレックスによる支援ごっこはどれほど正確な指摘でも聞き入れることはありません。支援者を名乗るのに不適切な態度を咎められれば、これまた烈火のごとく怒ります。自分自身が救われていないので、不安定な精神を殊更に刺激されるのでしょう。

デリケートな過去にも土足で踏み込む
支援ごっこに過ぎない以上、困っている人の目線に立って足並みをそろえるような器用さはありません。話すのもつらい過去をスキルもない癖に聞き出す無遠慮で烏滸がましい行為も平然とします。何なら、聞き出したエグい話をネットや書籍などで発表することすらあります。相談者が「事例として公表するのをやめてくれ」と抗議しても、良くて知らぬ顔、人によっては逆ギレしてきます。

まずは自分自身の問題から解決せよ

メサイアコンプレックスに陥らないための心構えは、特に援助や支援に関わる職業の人にとって非常に気になるところではあります。「コンプレックス」であるからには、自己肯定感が養われなかった背景、すなわち自分自身の問題が必ず隠れています。自分自身と向き合い、自分自身が抱える問題を解決することが、メサイアコンプレックスから脱却する道筋となるのです。

逆に言えば、自分自身の問題すら放置している状態で他人の役に立つ支援活動など出来る訳が無いということでもあります。そうした支援活動の奥底には、自分より可哀想な人や劣っている人を探して安心しようとする下衆じみた心理が蠢いているものです。

メサイアコンプレックスを抱えた人間の支援活動が何処へ行きつくかは、「人生無理バー」の騒動が雄弁に物語っています。人生無理バーとは「生きづらさを抱える人々の当事者会」を自称しながら、「セクハラや性加害が決まって発達男から出ている」という主観で発達障害の男性をまとめて出禁にすると公表し、会場から逆に出禁を食らうほど炎上したイベントです。

これの主催者や一部スタッフは自己弁護と正当化を繰り返した挙句、カウンターイベントへの襲撃について話し合ったり、優しく指摘した元参加者のことをアウティングしたりと、怒りのあまり大暴れしていました。自分の不安定な精神を置き去りにしたまま互助会などと大風呂敷を広げた結果が、短絡的な対応と醜悪なまでの狂乱ぶりです。

弱い奴ほどコーチ面したがる

かつて「頂き女子りりちゃん」の情報商材で得た知識を利用して捕まった女が、公判中にこのようなことを言っていました。「出所したら、モテないおじさんがモテるようになるコーチとして指導していきたい」

世の中は変に甘い部分があるようで、メサイアコンプレックスの元となる自分自身の問題に向き合わなくても支援もどきが出来る都合のいい生き方が存在します。それは口先だけ偉そうに指導する「コーチ面」です。ADHDやHSPさえも気の持ちようと強弁しているあのメンズコーチのヘラヘラした顔を思い浮かべたあなたは、まさに該当の人物を想起しています。

口だけコーチで済ませていれば、“教え子”が良い結果を出せば(たとえ貢献度が低くても)自分のお陰と思い込んでいられますし、結果が出なければ「それみたことか、俺の言葉に従わないからだ」とこれまた大喜びするので、どう転んでも精神の安寧は保てます。実際の困窮者支援においては端役どころかエキストラですらないのですが、それが却って責任の軽さに繋がり好き勝手言っていられるのですから、なんとも気楽なものです。

私が見た限りでは、まず無名の格闘家か何かがやっていたお悩み相談Q&Aコーナーがありました。どの回答も根性論と人格否定を上から目線で撒き散らしているだけで、「コイツ真面目にやる気ないだろ…」と思ったものです。きっと試合も真面目にやっていないのでしょう。

また、就活時代に「この時期でも内定の取れないお前のためのセミナー」みたいなものに参加したことがあるのですが、その講師がなんとも独特な思想をお持ちの方でした。「今苦しいのは、過去の行い、親や先祖の行い、前世の行いが悪かったのだろう」「どんな人にも人生の役割がある。動きも喋りもしない重度障害者にも、可哀想と思ってもらう役割がある」などと今思えば頓珍漢なことを言っていましたね。「ではジョン・レノンはどうして撃たれたのですか?」と聞いたら、「うーん、前世で何かあったんじゃね?」と返されたことを覚えています。

内定が無くて必死だったので定期的に片道1時間くらいかけて通っていましたが、就職に繋がる具体的なアドバイスは終ぞありませんでした。障害者手帳を取ることを伝えたときも「ふーん、それで就職しやすくなるならいいんじゃね?」と不明瞭な反応でした。

理由を「前世に悪い事をしたから」と答えるのは無回答以下の愚答で、これを正式な理由として認めてくれるのは公正世界仮説とかいうバイアスの塊くらいです。就活講師を名乗りながら前世に甘えるのは、自分のコーチングで結果が出なかったら当人のせいだと責任転嫁する逃げの姿勢が常態化していたからではないかと、今にして思います。こんなレベルの講師しか出せない大学の人脈にも軽く失望しましたね。

別の学生には内定に至った人も居ましたが、責任逃れ以外は毒にも薬にもならない話しかしなかったので、講師のお陰ではなかったと思います。恐らく彼は、自分のコーチで内定が取れなかった私のことを、次の年度から「陰気で内向的な学生」だの「就活以前のコミュ障」だの悪し様に面白おかしく呼んでいることでしょう。そうしていてもおかしくない人柄を薄々感じていましたので。

自分自身と向き合う苦痛から逃げておきながら、居丈高にコーチとして振舞い、困っている人を自分の承認欲求やストレス解消に消費するだけの、タチの悪い「弱者」が今では可視化されやすくなっています。他人へどうこう講釈を垂れる前に自分のコンプレックスと向き合った方が絶対に良いのですが、そうすると散々馬鹿にしてきた「弱者」に自分が当てはまることさえ直視させられるので、徹底的に逃避します。そうしていつまでも虚勢を張り、自分の問題やトラウマやコンプレックスから目を背けたまま、「強者たる自分」を演出し続けるのでしょうね。

参考サイト

メサイアコンプレックスとは?対人援助職の人たちが陥りやすい心理状態について詳しく解説
https://cascada-olla.jp

「施設から自立する人」に送る専門家からの助言 施設出身者による「当事者活動」の何が問題か
https://toyokeizai.net

「自分を満たすために、誰かを助けたい」という、メサイアコンプレックスの落とし穴
https://note.com


オンラインサロン「障害者ドットコム コミュニティ」に参加しませんか?
月々990円(障害のある方は550円)の支援で、障害者ドットコムをサポートしませんか。
詳細はこちら
https://community.camp-fire.jp/projects/view/544022


遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

関連記事

人気記事

施設検索履歴を開く

最近見た施設

閲覧履歴がありません。

TOP

しばらくお待ちください