対人恐怖症と発達障害~そして就労移行支援事業所に通うまで

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出典:Photo by Josh Boot on Unsplash

私は高校1年生のときに不登校になり「対人恐怖症」になってとても苦しい思いをしました。高校3年生のときに症状がでなくなりましたが、今度はあることがきっかけで人とのコミュニケーションに悩み始めます。心療内科にいったところ「ADHD(注意欠陥多動性障害)」という発達障害を抱えていることがわかりました。そして現在は「就労移行支援事業所」で職業訓練を受けて自立を目指しています。

今回は対人恐怖症の診断、発達障害の診断、そして就労移行支援事業所に通うまでの経緯をまとめ、書きたい思います。

子どものとき

幼稚園のときの私は、とにかく走り回ったり思いついたらすぐ行動してしまったりすることがとても多かったです。そのせいで、怪我をしたり事故に遭いそうになったりしたことが何度もありました。また人とのコミュニケーションも上手くできず、他の人の話を遮ってしまったり、喋りすぎてしまったりすることも。それらが原因でけんかになってしまいました。

私は頭の回転が速く記憶力もいいうえ、完璧主義だったので小中学校での成績だけはとても優秀でした。他の人にはそれが気に食わなかったのでしょう。「何であんなトラブルメーカーが……」きっとそう思われていたのでしょう。私はひどいいじめを受けるようになりました。「空気が読めないやつ」と悪口をいわれ、暴行を受け、クラスから孤立しました。そのうちに私は「頭がよくない人はいじめをしたがるんだ」と考え、人間不信になっていったのです。

不登校

中学3年生のとき私は偏差値の高い高校を志望しました。「偏差値が高い高校なら、頭がいい人だらけだから絶対いじめなんて起きない」と思っていたからです。そして他の人から逃げるように猛勉強した結果、無事に志望校合格を果たすことができました。「これでもう恐ろしい目に合わなくて済むんだ」そう安心してその高校へ進学したのです。

しかし、その高校は私の思っていた理想の高校ではありませんでした。偏差値の高い高校でもいじめをする人はいたのです。私は「その高校の中」では優秀な成績ではなく、逆に下の方の成績だったので、採点されたテストを同級生に取り上げられて、勝手に点数を見られるといった嫌がらせを受けるようになりました。それはだんだんエスカレートし、ついにはクラスメイト全員から無視されるようになりました。先生にも相談しましたが、先生は大学進学率のことにしか興味がなかったようで、しっかりとした対応を取ってくれませんでした。

そのうち私は登校時間になるとだるさが出たり眠気が出たりするようになり、高校を休みがちになりました。母は私が高校でどんな目に合っているのか知らなかったので、無理にでも高校へいかせようとしましたが、私は「もう疲れた」といって自分の部屋に閉じこもりました。

私は不登校になってしまったのです。

対人恐怖症になって

私はいじめから逃げるように、四六時中スマートフォンでゲームやネットサーフィンをするようになりました。しかし、いじめの記憶からは逃げられませんでした。逆にいじめの記憶が日に日に鮮明になっていったのです。

ついに私は家から出られなくなりました。人が怖くなってしまったのです。先生が家庭訪問をしても私は幼児のように部屋泣いて暴れて拒絶しました。そのあまりにもひどい様子に母は耐えきれず、涙を流しながら「何でこんなことをするの」と質問しました。私は正直に「他人が怖いから」と答えました。すぐに、母に精神科へ連れていかれたのです。

診断の結果、私は対人恐怖症だということがわかり、投薬による治療を受けることになりました。

治療を受けて数か月たっても、いじめの記憶と他人への恐怖は消えず、私を苦しめ続けました。やがて自分の状態がよくならないことに耐えかねて、通院することも辞めてしまいました。ついには苦しみから逃れたい一心で手首を切ってしまったのです。幸いにも傷は浅く、ガーゼと包帯だけで止血できましたが、母は泣きながら私の頬を叩いて怒りました。その様子を見て私は、やっと家族が心の底から心配していることに気がついたのです。今までの行動を反省し、しっかりと通院して対人恐怖症を治そうと決心しました。

対人恐怖症を乗り越えて

投薬治療を受けているときに、主治医の先生からある治療法を提案されました。それは「トラウマ治療」というもので、暗示によってトラウマを軽減するものでした。私はわらにもすがる思いでそれを受けたのです。

最初の2か月はあまり変化がないように感じました。しかし治療を受けて5か月ぐらいたつと段々といじめの記憶が消えていき、人が怖いと思わなくなってきました。あんなに私を苦しめたものが段々怖くなくなってきたのです。生活もだんだん変わってきました、部屋に引きこもることも少なくなり、外出もできるようになりました。

治療を受けて7か月ぐらいたったころ、私はもう1度高校へいきたいと思うようになりました。母にそのことを告げるとあるパンフレットを持ってきました。通信制高校のパンフレットです。普通の高校とは違い、自分でスケジュールを組んでいくことができます。そして自分と似た経験をした人も在籍しています。迷わずその高校を選び、通学しました。

その高校の思い出はとてもいいものでした。同級生も先生も私を受け入れ、優しく接してくれました。また教育熱心な先生がおられ、勉強することの大切さを教えてくれたのです。そのおかげで受験勉強をしようという意欲が湧き、無事に高校を卒業して大学へ進学することができました。

もう対人恐怖症の症状はあまりでなくなっていました。

大学退学と自分への絶望

幸せなんて一瞬のものでした。大学1回生のある日、講義間の休憩時間に友達に話しかけたら「お前はいつも自己中な話し方をするから大嫌いだ。もう二度と話しかけてくるな」と絶縁宣言を受けました。大学進学して初めてできた友達にそういわれてしまったので私はとても焦り、何度も何度も謝りましたが駄目でした。私は全てに絶望し疲れ果て、また不登校になってしまい、ついには退学してしまったのです。

私は「どうせ必要とされていないんだ」「この先、生き続けても両親や兄に迷惑をかけ続けるだけだ」と考え、両親や兄が仕事で出かけているときに自殺未遂をしました。でも何度やっても死にきれず苦しいだけだったので、あきらめました。

そして、毎日ニートのような生活を繰り返すような状態になってしまったのです。

ADHDだと判明

ニート同然の暮らしをしていたある日、私はゲームを買うために立ち寄った古本屋である1冊の本を見つけました。それは発達障害について書かれた本でした。最初は「ふーん」という程度で見て通り過ぎましたが、なぜかその本のことが妙に気になってしまい、ついにはその本を買ってしまいました。

家に帰ってその本を読んでみると、そこには自分の性格とよく似た事例がたくさん載っていました。それらを見たとき私は「もしかしたら自分は発達障害を抱えているんじゃないか」と思いました。その思いは何日たっても消えず、段々自分は発達障害を持っているのかどうかをはっきりさせたいという気持ちが強まってきたのです。そしてついに母に「発達障害かどうかの診断を受けたい」と強くお願いをして、近くの心療内科で診断を受けました。

数日後、私はADHDと診断されました。今までの衝動性や自己中心的な会話の原因はこの障害によるものでした。私は、はっきりして安心したのと同時に「どうすれば自分の障害を治せるのだろうか」「このままの状態で自立できるだろうか」と不安にもなりました。

就労移行支援事業所へ

変化があったのはADHDと診断されてから約1年後でした。母が「就労移行支援事業所」の合同説明会があることを伝えてきました。「就労移行支援事業所?何それ?」私はそう思い警戒していましたが、母のあまりの熱意に押され、結局一緒にいくことになりました。

合同説明会は近くの市民会館でおこなわれていました。私はとりあえずある事業所のコーナーへいって「就労移行支援事業所とはいったいどういうところですか」とたずねました。事業所のスタッフは「就労移行支援事業所とは、障害などで上手く自立できていない人を訓練や面談などでサポートして、しっかりとした社会生活を送れるようにするところ」と教えてくれました。私はここへいったらうまく自分を変えられ、そして自立できるかもしれないと思い、就職定着率が高そうな2つの事業所へ体験にいくことにしたのです。

どちらの事業所もとてもいいいところでした。1つ目の事業所はアットホームな雰囲気で、落ち着いて訓練を受けることができそうでした。もう1つの事業所は本格的な訓練プログラムをおこなっており、確実に自立できそうでした。最初、私は前者の事業所に通ってみたいと思いましたが、将来のことや社会生活を送ることを考えた結果、後者の事業所に通うことを決めたのです。

現在の私

現在通っている就労移行支援事業所では、自分自身の障害を知る訓練や面接練習、模擬業務訓練などを受けています。障害の特性が原因で、誰かに相談せずに勝手に作業をおこなってしまったり、ささいなことでトラウマを思い出したりしてしまうことがあります。そのたびに支援員の方々のサポートやアドバイスをもらって改善しています。色々と忙しい日々ですが、私は今までで一番幸せだと感じています。

むぎ

むぎ

就労移行支援事業所に通っている男性です。好きなものは自然と折り紙、そしてぬいぐるみです。

注意欠陥多動性障害(ADHD)

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