障害者以前。ASDの私が障害特性から働き方をふりかえってみた②
暮らし 発達障害私は3年前、広汎性発達障害の診断を受けました。これまで、抑うつで休職/退職/失業/就職を繰り返しましたが、精神保健福祉手帳は取得しておらず、障害とは無関係だと思いこれまで生きてきました。発達障害の診断を受け、何をやってもうまくいかないのは、発達障害のせいだったのかとようやく合点がいきました。前回に続き、そんな障害者(診断)以前のめちゃくちゃな働き方を障害特性から紐解き、振り返ってみたいと思います。
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疑似家族と鮭の遡上
仕事と寝ている時間以外は、涙が止まらなくなりました。夜の歓楽街を泣きながら歩きます。きっとヤバイ人だと思われていたでしょう。入浴の度にじんましんが出るので、雪の中、Tシャツでクールダウンをはかる/ウィスキーを1日で半分空ける、などとりあえず生活を維持するのに様々なことをやっていました。あっという間に体重は10kg増加。孤独の中、一人で完結できることでストレス発散を試みますが、人とのつながりを体は求めています。死にたいけど死ねない…そんな中で私を活かしたストレス対処法は次のようなものです。
◈インドカレー屋さんにて、泣きながら手でカレーを食す
(インド人店主は、泣いても放置してくれる/たまにチャイをサービスしてくれる)
◈健康ランドのお風呂で号泣
(テレビのある露天風呂に他のファミリーと一緒に入り、こっそり泣きながら疑似家族を体験する)
◈鮭の遡上を見に行く
(強敵カラスが待ち構える中、命をかけた産卵をする鮭に、その生のエネルギーのおすそ分けをいただく)
その後、会社の倒産、例の男女2人の横領事件などさまざまな問題が巻き起こったのですが、なんとか生き延び、無事閉店処理まで業務をこなすことができました。終了後は、逃げるように北から南下を続け数日かけて実家へ戻りました。しかし、生き延びる理由がなくなってからの方が大変でした。ストッパーがなくなるからです。ズタボロになった私が社会復帰を果たすには、それから約1年もの時間を要すことになるのでした。
障害特性から見る、私の働き方エピソードについて
その後もアホみたいな出来事は山ほどあるのですが、それは置いといて、今回のエピソードを障害特性から振り返ってみたいと思います。
<障害特性>
◈人の気持ちや思惑を読むのが苦手/人を信じすぎてしまう
→他人に利用されてしまう
◈自尊感情の低さ/衝動性/思い込みの強さ/こだわりのつよさ
→常識的な判断ができずに行動してしまう。他人優位で物事を決めてしまう。(一度決めたことは曲げてはならない、自分は不幸で当たり前などの思い込みが強い)
◈情報の整理が苦手/コミュニケーションが困難
→パニックになりやすい。考えることを放置してしまう。ストレスを溜めやすい。
◈優先順位を付けるのが苦手/想像力が乏しい
→問題をそのまま放置してしまうため、計画の軌道修正ができない。
◈感覚鈍麻/人付き合いが苦手/パニックや不安になりやすい
→孤独に陥り、相談・助けを求めることができない。ストレス対処の発想もない。(疲れ具合がわからないため、疲労をためこみ消耗し、考える力を失くしてしまう。危機管理に疎い)
◈マルチタスクが苦手
→仕事とプライベートの区別ができない
◈不器用/ライフスキルの低さ
→1人暮らしが困難(冬季の水道管の水抜きに失敗して、ねじをふっとばし、入浴ができないなど)
さいごに
このエピソードは発達障害診断以前のものなので、当時は怖いものなしという感じで突き進んでいました。今となっては、よく耐えたなとか、やりすぎやろ…と思いますが。この当時は苦手なことやできないことを克服しなければならないとの思い込みも強く、決定的に特性として苦手だということも把握できていなかったため、よりカオスに陥ってしまったとも言えます。私が変な環境に置かれていたのは、変なところに変な人たちが集るというものだったかもしれませんし、私の障害特性からおかしいということに気づきにくいため、抜け出せなかったからかもしれません。今後は、この振り返りを教訓に、障害特性に従い、苦手な物は極力避け、対策を施し、まめに報連相をしながら乗り越えていきたいと思います。「あ、それ、わかる!同じ!!」と共感してくださる方がどれほどいるか分かりませんが、このコラムがどなたかのお役にたてればうれしく思います。
参考文献
【独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構 実践報告書No.14発達障害を理解するために~支援者のためのQ&A~】
https://www.nivr.jeed.or.jp/index.html
広汎性発達障害