ハンセン病回復者、宮﨑かづゑさんの人生を追った、映画『かづゑ的』が全国で公開。大阪で熊谷博子監督らが舞台挨拶

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(c)Office Kumagai 2023


3月2日から公開されている映画『かづゑ的』。瀬戸内海に浮かぶ島の療養所に10歳の時から80年以上暮らしてきた、ハンセン病元患者の宮﨑かづゑさんの人生に伴走する映画作品です。その舞台挨拶が去る4月13日に開かれました。


熊谷博子監督(右)とナレーションの斉藤とも子さん

病の影響で手指と足を切断し、視力も失われつつある宮﨑さん。78歳でパソコンを覚え、84歳で本を出版し、96歳を迎えた今もエネルギッシュに生きる彼女は「できるんよ、やろうと思えば」と語ります。舞台挨拶の壇上では、熊谷博子監督とナレーションの斉藤とも子さんが、宮﨑さんの近況や出会った時のことなどを報告しました。

舞台挨拶の始まりでは熊谷監督から「いつもまずお話ししている事」として、宮﨑さんの近況報告がなされました。96歳の誕生日を迎え、4年前に夫を亡くしましたが、2年ほどたち、その喪失を乗り越えて水彩画を再開したそうです。画材は整頓されており、包帯で掌と筆を括りつけ、残されたわずかな視力で真剣に描画へ打ち込んでいます。出来上がった作品に感銘を受けた熊谷監督は、作品をポストカードとして販売することに決めました。

宮﨑かづゑさんの病と向き合うリアルな姿を記録に


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熊谷監督が宮﨑さんに初めて出会ったのは2015年のことで、それまではハンセン病について表面的な知識しか持っていない状態でした。戦後70年の節目、長崎で被爆者を撮影していた熊谷監督のもとに、知人のドクターから「宮﨑さんに会って欲しい」と強い要望が届きました。宮﨑さんの著書「長い道」を読み、自身も強い興味を持ちます。そして実際に宮﨑さんと出会い、話をする中でその人生を撮って残さねばと思い立ちました。宮﨑さんは「あの人ならいいよ」とアッサリ了承し、伴走が始まります。

出会って1年後から撮影が始まり、その撮影は「自然体」で進んだといいます。宮﨑さんは勿論、介護スタッフも含めて自然体で熊谷監督に接していました。撮影は8年間と長期に渡りましたが、宮﨑さんから口癖のように「できるんよ、やろうと思えば」と聞かされるたびに勇気と元気を貰い、撮影期間の長さは感じられなかったそうです。こうした伴走の結果が、映画の中に収まっています。

宮﨑さんは病の影響で手指や足を切断されていますが、それを感じさせないことの方が多かったそうです。その一幕として、指がない事を忘れてサインをお願いした出来事が話されました。サインは、介護スタッフのヘアゴムで手とペンを括りつけて一生懸命に書かれたそうです。

ナレーションの斉藤さんは、何度か試写されてから収録に臨む中で、宮﨑さんの存在感を大きく感じていました。それで実際に会うとイメージより体躯が小さいだけでなく、チャーミングな面もあってつい「可愛い」と思ったそうです。宮﨑さんは作品の序盤に「人間はどのような状態でも人間性を失わない」と説き、実際に会った斉藤さんには「私は地獄も悪魔も見てきた。だからこそ神も仏もあると言える」と言いました。過去の辛い記憶すらも自分を構成するのに必要なパーツとして感謝さえする強靭な精神も持ち合わせていたそうです。

宮﨑さんは謙虚に、芸術や人間性などで自分より優れた人も多いので彼らのことも知ってほしいと言っていました。しかし、絵画の仲間や談笑する友人たちの撮影はNGでした。宮﨑さん自身もそれまでは、人前での顔出しには積極的ではありませんでした。

ところが半年ほど前から「私は長くないかもしれないから、どんな質問でも受ける」と心境が変わったようで、地元映画館での初日には、多くの観客を前に、自分の思いや心境を話しました。

ハンセン病を越えて、ひとりの人間として生きる


(c)Office Kumagai 2023

映画で伝えたかったことについて熊谷監督は、「ハンセン病を背景としながらも、人間が生き抜くのに何が必要かを(普遍的に)伝えたつもり」と語りました。両親や祖父母や夫からあふれる愛情を受け、膨大な読書量で数多くの知識を身に付けた宮﨑さん。一番好きな本について聞くと「デルス・ウザーラ」と答えたそうです。デルス・ウザーラとは、1975年に黒澤明監督のもと撮られた日ソ合同映画のことで、その原作です。

宮﨑さんの読書体験について、熊谷監督は「自分の境遇と物語の主人公を重ね合わせながら生き抜いてきた」と、極めて普遍的な姿勢であると示唆しました。宮﨑さんの体験を伝えることで、今生きづらさを抱える人々に対する有益なメッセージになるのではないかと思われます。

「ハンセン病のイメージを超越した一人の人間」は、著書「長い道」からも感じられるそうで、斉藤さんは「罹患する前、とても幼い頃の風景が、80代で書いたとは思えないほど鮮明に描かれている」と文章力の高さにも感銘を受けていました。

宮﨑さんは療養所でいじめに遭い、死のうとすら思ったこともあったそうです。それでも生き抜いてこられたのは、自分に掛け値なき愛情を注会いにきてくれる母の存在でした。いじめの影響でぎこちなかった心も、夫の孝行さんによって氷解されました。孝行さんも自然体で撮影に応じる人物で、ファインダーの向こうで平然と寝ていたこともあったそうです。

『かづゑ的』には、ハンセン病すら個性のひとつに


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『かづゑ的』というタイトルの由来についても語られました。最初は「私の長い道」という平凡な題をつけていましたが、これでは数ある映画の中に埋もれるだろうと悩んでいました。そこで、英語の字幕を担当するアメリカ人に相談すると「Being Kazue」と「かづゑ的」を提案されます。他に良いアイデアも無かったので「かづゑ的」を採用したところ、宮﨑さんの周囲からは好評でした。

ハンセン病すら個性の一つにまで落とし込まれた宮﨑さんの人柄を表現するならば「かづゑ的」としか言いようがないという結論から、タイトルは「かづゑ的」と決まりました。

会場から質問も


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質疑応答では盛んに質問がなされました。隔離についての質問では「否定的な事実として、これは踏まえていかねばならない」としつつ、ショッキングな反応として「岡山出身で私より少し上の世代の方から『小2の頃、担任が1時間かけてハンセン病の話をしていたが、あの島(宮﨑さんの療養所がある島)に上がってはいけない、親類が罹っても話してはいけない、等と言われてトラウマになった』と言われた」と挙げました。

ハンセン病患者への偏見や差別と違い、宮﨑さんが話したのは患者間の差別でした。被差別者同士で差別し合う構図こそ差別の本質であり、それを説くことが出来たのは宮﨑さんに伴走した意義の一つです。

宮﨑さん自身がどのような感想を持ったかについては、「確認の意味で宮﨑さんと周囲の方々に編集の最終段階で見てもらったとき、どの場面が良かったか聞くと『お風呂の場面が良かった』と返ってきた」と答えました。ただ、生前の孝行さんの動く姿を見ていると辛くなるため、何度も見たいかというとそうではないようです。

最後に宮﨑さんの気さくな面や若者言葉を取り入れる面に続いて、謙虚な面について語られました。宮﨑さんは“謙虚”ではありながらも“卑下”はしません。いじめられた経験を話すときでさえ自分を下げることのない、卑屈にならない強さを持った人間です。


映画『かづゑ的』は、現在、東京・ポレポレ東中野ほか全国で上映中です。詳しくは公式ホームページの劇場情報をご確認ください。
https://www.beingkazue.com/theater

映画『かづゑ的』公式サイト
https://www.beingkazue.com/

映画『かづゑ的』本予告
https://www.youtube.com/watch?v=BieuL2YNh60


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