私の生き辛さの原因は発達障害による特性だったのか?(『発達障がい~神からの贈り物~』第27回)
『発達障がい ~神からの贈り物~』 第27回 <毎月10日連載>
2019年の年明けは私にとってはこれまでにない特別なものでした。具体的に何が特別なのか?それは特別なことが無い毎日が幸せに包まれていること、そのように述べれば哲学的な何か矛盾したような表現に感じるかもしれません。
私のコラムを継続して読まれているかたがたは既にご存知でしょうが、私の部屋が散らかることはほとんど無く、ほぼ毎日布団をたたんで仕事に出るようになりました。もう2ヶ月近く続いています。つい数年前まではハッタツさんアルアル的なここはもはや住処ではないというような場所で生活していたのですが、そんな過去をもう忘れてしまいそうです。
仕事が長続きしない、短期記憶が弱い、空気が読めない、人間関係が長続きしない、気遣いができない、ミスが多い、忘れ物が多い、仕事が雑、などなど、何をやってもうまくいかなかった20代が本当にうそのように感じられるほど。
そして、それは私が発達障害だから、だと思い込んでいました。しかし、今となっては全くそうは思えません。そう、上記の生き辛さの原因の全てが心の中の甘え、焦り、といったものだったことに気づけたからです。
人は誰だって楽をして生きたいと思うでしょう。しかし、楽に生きたいということは、自分が苦しいからという思いから発せられるものではないでしょうか?自分ばかりが苦しい思いをしている、損をしている、という思いが心の焦りを招き、やがて私の生き辛さへの原因につながっていた、今はそう理解できます。
これらのメカニズムを説明しようとしてもきっと講義一回分を簡単に越してしまうでしょう。一回のコラムでこれらを覆いきることは不可能のように思います。興味のある方は私のコラムのバックナンバーに目を通してください。または私のブログ等も参考にしていただければ幸いです。
ここで、一つだけ例えとして人間関係の躓きについて触れてみます。
誰だって周りの人から肯定されたいでしょうし、チヤホヤされたいと願うかもしれません。しかし、例えば話題が豊富であったり話し上手であったりすることで安易に人間関係を築こうとするときっと痛い目にあってしまうことでしょう。人間関係とは人と人が互いに信頼を構築しながら積み上げていくもの。それをテクニックだけで簡単に手に入れてしまおうという思い、これこそ楽して物を手に入れたいという甘えではないでしょうか?ましてルックスで人を魅了しようなんて考えは相手を尊重するどころか蔑む行為ではないでしょうか?
やはり最後にしっかりとした人間関係を築けるのはコツコツと自分がすべきことを積み上げてきた人ではないでしょうか?そして周りの信頼を勝ち取る以前に周りを信頼できる人間ではないでしょうか?
心の甘えや焦りと全く逆にあるのはきっと地道な努力なのだと思います。そして、現在の私はこの地道な力の偉大さに驚いている最中です。直向きなことがもたらすパワーは自分の中にも周りにも大きく影響します。
私の周りに目をやると、自助会に集まってくる人間、職場の利用者たち、厳しいことを言いますが、地道な努力を惜しまずにできる者を見ることは皆無に近いといえそうです。そしてそれはまるで過去の私を見るように心苦しいものです。
現在はピアサポートグループ のリーダーとして、また福祉職員として、これらのことを一人でも多くの仲間と共有できることを願い、日々の活動を地道に行っている最中です。残念ながら結果が得られるのは相当先のように感じてしまいますが、きっとそれはわたしの直向さが足りないものだと自戒しながら自分自身と向き合っています。
一人でも多くの人と共有できることを願っています。
発達障害