自閉スペクトラム症の共感性について〜共感性が低いのは悪いことばかりではない?
暮らし自閉スペクトラム症で、相手の気持ちを考えずに思ったことや事実をそのまま伝えてしまう方がいます。自閉スペクトラム症には、「社会的相互作用」の障害があるため、周りからみれば共感性が低く冷たい人間に見える時もあるでしょう。しかし、彼らは決して人の心が分からないのではありません。自閉スペクトラム症特有の共感性やそのメリットとは何でしょうか。
自閉スペクトラム症の共感性
幼少期の頃から今も悩み続けていたことがあります。それは、私は「冷たい人間」なのではないか、ということです。自閉スペクトラム症の私は、相手の気持ちを理解することができない子どもでした。同級生が描いたイラストをプロが描いたマンガ雑誌と比較し、短所をそのまま指摘しました。周囲に煙たがられていた一人の同級生が私も苦手だったので、本人の前で「あの子と一緒に帰りたくない」、と平気で言いました。別の同級生が先生の悪口を言うのを聞いた後も、その先生本人に告げ口し、そのことを同級生本人にも伝えました。嘘や悪口はいけません、と学校で習ったことをそのまま実践したのです。そして、悪口の告げ口は相手にどんな最悪な結果をもたらすのかを、想像もできなかったからです。告げ口された同級生は当然怒り狂い、涙を流しました。今であれば、申し訳ないことをしたと思えます。しかし、当時の私には同級生に対して、何の哀れみも罪悪感も湧いてこなかったのです。ただ、理由も分からずに相手に怒られたことが怖いと思ったくらいです。まるで、親の涙や怒りを感じ取ることはできても、理由を理解できない赤ん坊のように。
自閉スペクトラム症は、「社会的相互作用(相手の考え方や感情に応え、相互なやりとりをする能力)」と「心の理論」の発達は、個人差がありますが通常よりもゆるやかです。「心の理論」とは、自分と相手は視点が異なるという認識から、「相手の気持ちや思考を推測する能力」です。心の理論は通常、4歳から遅くても6歳頃に発達します。しかし自閉スペクトラム症の場合、心の理論の発達、つまり自分と相手は互いに思考も感情も異なる存在である、と認識できるようになるまでに11歳から12歳か、あるいはもっと先になることが多いです。年齢が上がれば、相手を傷つける言動や嘘なども理解してきます。それでも、あいまいな言い方や皮肉を理解できない、頭では分かっていてもだまされやすい、嘘をついてもすぐに見透かされる人が多いです。自閉スペクトラム症の方によく見られる裏表のない「純粋さ」も、嘘や皮肉が不得意な特性によるものだと思います。自閉スペクトラム症の方が一見、共感性が弱くそっけない人に見えるのも、相手の気持ちを想像しづらい特性によるものです。
私自身も、自分の好きなものが相手も好きだとは限らないことをようやく理解したのも、嘘を上手につけるようになったのも、十六歳あたりからでした。今は外で自分の好きなアニメやマンガの話をしないか、したとしても一方的にならないように注意しています。それでも、家に帰って親しい人と話していると気が緩むのか、つい相手の状況おかまいなく、アニメとマンガの話をしてしまいます。さらに、相手が疲れているのか苦しいのかも、顔色をうかがう余裕があれば見たりしますが、相手に言われないと気付かないことも未だ多いです。今までの経験や本で読んだ知識で学習した範囲なら、相手の気持ちや考え、悪意の有無を理解できるようにはなりました。しかし、経験と知識にはないイレギュラーな状況になると、あっさりだまされることが多いです。
共感性にも種類がある
共感性とは、喜びや悲しみ、怒りなどの感情を相手と共有し、心を通わせることです。相手が嬉しいと自分も嬉しい気持ちになる、逆に相手が悲しんでいると自分も悲しくなり、相手を慰める行動を取ります。これは一般的によく知られる「情緒的共感」と呼ばれ、これは相手の「感情」を理解する能力です。そして、もう一つに「認知的共感」というものがあり、これは相手の「思考」や「意図」を理解する能力です。前者は「熱い共感」、後者は「冷たい(クール)な共感」とも呼ばれます。
自閉スペクトラム症の場合、認知的共感と比べると、情緒的共感が弱くなるか、その発達がゆるやかな方が多いです。これも個人差や本人の性格なども関係しますが、大人の自閉スペクトラム症の中には、感情はクールだが相手の思考は理解でき、合理的な言動で相手とやりとりをする方もいます。周りから見れば、共感性が低く冷たい人間だ、と誤解されることもあります。しかし、自閉スペクトラム症の方は気持ちを想像しづらいだけであり、決して感情がないわけではありません。むしろ曲がったことの嫌いな優しい方もいます。
私の場合も、情緒的共感よりも認知的共感のほうが高いと自覚しています。私の周りには福祉に関わっている知り合いが多く、話の中には介護や福祉現場に関するネガティブな話をよく耳にします。相手や介護をされる人にとって、その人達の状況はどれほど辛く、苦しく、悲しいことなのかも、その理由も、今の私には「理解」できます。そして、どんな優しい言葉や態度が、相手にとって確実に慰めになるのかも、知識として理解できます。しかし、私自身は聞いた話に対して「胸を痛める」とか、「自分のことのように感じて苦しくなる」、という感覚が弱いのです。そのため、私は相手からネガティブな話を聞いても、悲しみや怒り、反感を抱かずに、静かに耳を傾けることができます。
さらに個人差や本人の興味にもよりますが、自閉スペクトラム症であっても成長していくにつれて、社会性を少しずつ身に付けていきます。中には、人の心やコミュニケーションを知識や経験で学習していく能力がむしろ高い方もいます。私も、自閉スペクトラム症であるがゆえに他者との直接的なやりとりは好まないか、もしくは一方的なやりとりしかできませんでしたが、人間の心への強い興味はありました。特にいじめや不登校をきっかけに、マンガやアニメ、一般向け心理学や精神医学、コミュニケーションで大切なことについての知識を吸収しました。おかげで今は、人の話を聴くゆとりを持ち、「人がどんな状況でどんな言動を取りやすいのか、その理由は何なのか」について、膨大な数のパターンと知識から、人の心をだいぶ理解できるようになりました。
熱い共感が低いことのメリット
幼少期から私は、共感性の弱い自分の特性ゆえに相手を傷つけ、「人の心が分からない」、と言われました。小学校のいじめやスクールハラスメントなどで不登校になり、その原因は自分にもあったことを理解しました。それ以来、人の気持ちを理解できない自分の存在そのものに罪の意識すら抱いてきました。人が悲しんでいる時も、私は自分の世界にばかり関心を寄せ、笑うべきではない場面で笑ってしまうことがあります。人が苦しんでいても笑うことができ、相手と感情を共有しづらい自分は、冷たい人間なのかもしれません。知り合いから聞く福祉と介護の話においても、相手が怒っている、悲しんでいる理由を知識や言葉から理解できても、相手の感情とシンクロしづらいのです。
さらに、アニメやマンガで好きになったキャラには涙すら流せるのに、現実の私は相手のために泣くことはめったにありません。昔ながらの特性からくるものでしょうか。それとも、今まで自分の空想へ逃避し、その中で悲しく残酷な物語にも深入りし過ぎたおかげで、感情が静かになってしまったのか(悟りを開いたような)、明確ではありません。一方で、私は自分も辛い想いをした経験から、人に優しくもありたいと願うのです。社会にはこびるいじめや差別、不正、犯罪などにも問題意識が強く、正義と思いやりを尊びます。自分でも矛盾を抱えているのは分かります。それでも、かつての自分のように悩み苦しんでいる相手に対し、自分が与えられなかった、誰かに与えてほしかった優しさや助けを差し伸べたくなる、という想いも本物なのです。
自分の冷徹さに罪悪感を抱き、一時は孤独や不安障害、薬の副作用などに悩まされた辛い時期を越えた今、私は「それが自分だと受け入れる」ことができています。たとえ情緒的共感が弱くても、相手の気持ちを理解したい、相手の手助けになりたい。その真剣な気持ちさえあれば、人に優しくすることができると信じています。情緒的共感を強く求める人には、物足りなさを感じると思いますが、私自身が冷静でいられるからこそ、相手にとって気が楽になることも多いようです。
まとめ
自閉スペクトラム症の共感性について、以下にまとめます。
・自閉スペクトラム症は、相手と感情や思考、行動を共鳴させる「社会的相互作用」の弱さや、人とのやり取りへの興味が薄いです。そのため、相手の気持ちを想像しづらい特性があります。
・自閉スペクトラム症の方は、自分と相手の視点が異なることを理解する「心の理論」の発達が、通常の子どもよりも時間がかかります。
・相手と喜怒哀楽を共有する熱い「情緒的共感」、と相手の思考を理解するクールな「認知的共感」があります。自閉スペクトラム症の方は、認知的共感を発達させることはありますが、情緒的共感は弱いか発達がゆるやかになりがちです。
・情緒的共感が弱くても、相手にとって慰めとなる言動と思いやりを「認知的共感」で理解さえすれば、人に優しくできます。むしろ、感情的に巻き込まれない冷静さがあるからこそ、相手のネガティブな話を受け止めることができます。
私の心にも当然感情はありますが、一方で氷のように冷たい部分も持ち合わせています。しかし、おかげで今の私は、相手の喜びも、哀しみも、怒りも、静かに受け止めることができるようになりました。人にはとても言えない悩みや相手の汚い部分にも、穏やかな気持ちで静かに話を聴ける人だからこそ、相手の哀しみや闇に寄り添うことができます。そう思えば、私は今の自分を受け入れることも、自分を信じ始めることも、ようやくできました。
参考文献
・岡田尊司(2016)『アスペルガー症候群』幻冬舎新書
・日本精神神経学会(日本語版用語監修)『DSM-5精神疾患の分類と診断の手引き』医学書院
・中野信子(2018年)『サイコパス』文春新書