ADHDを身近な人に分かってもらえない辛さ〜あなたは本当に障害者?
発達障害 暮らし不注意優位型のADHDと診断された私ですが、親には「お前は正常だ、障害者のはずはない」と言われ続けて、未だに分かってもらえません。友人に打ち明けても「そうは見えない」と言われる私の気持ちを綴っていこうと思います。
はじめに
私がADHDと診断されたのは30を過ぎてからです。それまで「周りのように上手く出来ないな」「努力が足りてないのかな」と思う事はあれ、障害だとは全く思っていませんでした。そんな私ですが、ADHDの方とふれあう事がきっかけで「私もADHDなのでは?」と思い、検査を受けに行ってADHDだと診断されました。ところが親をはじめ友人、兄弟は「至って普通、障害者だなんて思えない」と声をそろえて言います。私自身は「努力する事に疲れた」「健常者のふりをするのに疲れた」というのが本音な所ですが、障害の事を知る前は変に「他の人と同じようにしなければ」という思考に凝り固まってしまっていました。その分努力もしましたし、その結果が障害者だと分かって貰えない結果になっているのだと思います。
正直辛い、健常者のふり
私は「本当に障害者なの?」と言われると辛い思いになります。おそらくよく学生時代にある「〇〇君は点数が高い、頭良くて良いね」というものに似ていると思います。積み重ねてきた努力を軽視されているというか、それが当たり前の事のように言われてしまい、悲しくなります。正直この30年健常者に近づこうとして努力してきた日々はつらかったです。努力をしてもどこかしらにケアレスミスが出る、ケアレスミスを出ないように努力をしてもその努力自体にケアレスミスが出る、等悩みの種は多かったです。正直個性だとは到底思えませんでしたし、ただの自分の欠陥だと思っていました。
努力しないといけない焦り
私は今のレベルのたち振る舞いをするのが精いっぱいで、それ以上の事を求められるとかなりあたふたしてしまいます。身近な人が分かってくれないと、やはりその人の求めるレベルに行かないと叱責されますし、友人関係も壊れてしまうかもしれません。なので今のレベルは維持できるように努力します。ですが、就業しようとなると今のレベルでは足りなくなり、次のレベルを求められます。親からするとそれが当たり前のラインなのでしょう。私本人もそこは努力しないといけないなと分かってはいて、それ故に、「何故出来ないのか?」「どうしたら出来るのか?」と焦りも出てきています。今では就労移行支援施設に入り、その道を一緒に模索してくれる支援者がおり、とても助かっています。ですが、その支援者からも「あまり障害者に見えませんね」と言われ、おそらく褒め言葉なのだろうと思いますが、やはりショックを受ける事があります。
一見普通に見える方でも、実は障害者で、人並ならぬ努力をされている方も多いと思います。一般企業で普通に働いており、自分が障害者だなんて思ってもいない方もいると思います。私のように一般での就業からドロップアウトしてしまった人も大勢いるのではないかなと思います。そんな人たちの努力を私は称えたいですし、私自身も「良く頑張ってきたね」と言われたいです。発達障害に生まれてきたハンデを努力で補うのもいいと思いますし、凄いと思います。でも今の私は「努力」より「工夫」で乗りこなせるように知識を蓄え始めました。そういったシフトチェンジも自分なりには良いのかなと思っています。良い支援団体に出会えた事に感謝しております。みなさんも、是非努力に疲れたら違う道を探してみてください。辛さがマシになるかもしれません。
注意欠陥多動性障害(ADHD)