発達障害と向き合いながら就職する~前編
発達障害 仕事Xtra, Inc.
私は「広汎性発達障害」と「高機能自閉症」の診断を受けています。現在は、福祉サービスの一つである「就労移行支援事業所」に通っています。2017年11月から通い始め、一年半が過ぎました。このコラムでは、その中の幼少期から「就労移行支援」を利用するまでの出来事を紹介します。
幼少期~高校時代
私は、幼少期・小中学校・高等学校時代を普通に過ごしました。でも、今思うと障害の特性が出ていた場面もありました。例えば、人形を、並べて遊んだり、相手の事を考えずに、思ったことをストレートに言ったりしたことです。学習面では、体育と算数や数学が苦手でしたが、その他の教科は特に問題なくできたように思います。 小学校3年生の時、担任の先生の勧めで精神科に受診しました。そのとき、「自閉症」という診断を受けました。この時私は、障害の自覚がなかったように思います。当時の私は、周りに合わせようと必死にやっていたので、帰ってくると疲れが出たように思います。私の障害の一つに、聴覚過敏があるのですが、特に犬が吠える声が苦手で、怯えていたと思います。この時期は、父の仕事の都合で、小学低学年の時に、愛媛から大阪の島本に引っ越しをしました。私の短期大学時代
私は、その後短期大学に進学しました。学科は英語関係です。最初は、英語関係とあって講師の中に外国人がいて緊張もありましたが、日本人の講師もいたので、何事も無く学生時代を過ごしました。学生時代の中で、特に苦手としていたのは、論文作成です。元々私は、作文を苦手としていたので、論文作成には、時間がかかりました。それでも、二年後には無事に卒業できました。ひきこもりからの福祉サービス利用
短期大学卒業後は、6年近くひきこもりに近い生活をしました。ひきこもりといっても、完全な引きこもりではなく、カルチャー教室に3年行くようなところもありました。ところが、2013年に吹田市に引っ越しをしてから、「発達障害」と診断を受けることになります。それは、両親が私を最寄りの保健所に連れて行った時、保健所の紹介で、精神科を受診し、初めて自分が「障害者」だと分かりました。2014年のことです。2015年4月「就労移行支援」を利用する前に、地域活動支援センターを利用するになりました。私が通っていた地域活動支援センターでは、「一日のスケジュールを事前に見せる」というような配慮がされていました。私が地域活動支援センターに通ったのは2年半でしたが、その時は働く意欲がありませんでした。地域活動支援センターの利用者層ですが、私が通い始めたころは、圧倒的に男性が多く、女性は少数でしたが、一年がたったころには女性も増えてきて、友人は少なかったけれども上手くやっていけたように思います。
地域活動支援センターの内容ですが、施設の中でのプログラムでは、ぬり絵・手芸などの作業プログラム・調理があり、年に数回ですが、施設の外に出るプログラムがありました。施設の外に出るプログラムでは、施設近辺の散策がほとんどでした。その他にも、当事者が集まる「ピアカウンセリング」や、「グループワーク」といって、一定のメンバーで活動するプログラムもありました。施設は時に、収容人数を超える場合があり、しんどくなった時もありました。そうして、2年半が過ぎたころに、両親が職業訓練を受ける場所を勧めました。それが就労移行です。
就労移行か ら就活に向けてのことですが、長くなりそうなので、次回にさせて頂きます。
自閉症スペクトラム障害(ASD) 広汎性発達障害