シーア監督炎上からみる障害者と配役
発達障害 エンタメ「シーア」というシンガーソングライターをご存知でしょうか。シーア・ケイト・イゾベル・ファーラーが本名の彼女は「シーア」という芸名で活動するオーストラリアのシンガーソングライターです。2014年に発表した「シャンデリア」は大ヒット曲として挙げられています。
そんな彼女は映画監督にも挑戦しており、初監督作品「Music」が既にアメリカ国内のIMAXシアターで限定公開されています。何かの中毒を克服したというズー(演:ケイト・ハドソン)と、自閉スペクトラムの義妹ミュージック(演:マディー・ジーグラー)が、生き様を模索していくというのが大筋となります。
ところが、この映画について一悶着があったようです。配役と描写について自閉症コミュニティなどから激しい批判を受け、シーア監督は自身のTwitterアカウントを抹消までしてしまいました。音楽活動のキャリアを活かして挿入曲を10曲も書き上げるほど気合の入っていたシーア監督は何と言われていたのでしょうか。
定型が自閉症を演じる
第一に批判の的となったのは、自閉スペクトラムの少女を演じるマディー氏が定型発達であることです。これが健常者優先の「エイブルイズム」として叩かれました。シーア監督は「当初は自閉スペクトラムの女優を起用するつもりだったが、撮影についていけなかった」と釈明しますが、半ば嘘だったことを後で認めてしまい火に油を注ぐ形となってしまいます。
シーア監督は本当の理由として「マディー氏を起用したのは情であり身内びいき。私のプロジェクトはマディー抜きでは芸術として完成しない」と述べました。マディー氏はシーア監督の世界的ヒットシングル「シャンデリア」のMVに弱冠12歳で出演し、最優秀振付賞の受賞に貢献しました。両者はその頃からの付き合いで、「エラスティック・ハート」「チープ・スリルズ」など幾つかのMVにも出演しています。
また、批判を受けた第二の理由として自閉のミュージックが身体拘束を受ける場面が挙げられています。自閉症コミュニティからは「拘束はする方もされる方も危険だ」と指摘を受けました。実際に素人の不慣れな身体拘束によるトラブルは結構あります。これに関しては映画の冒頭で注意書きをする対応が取られました。
ちなみに、批判とは関係ないですが映画レビューサイトの「cuemovie」では「特報を観た限りでは、いかにも意識高い系の作品っぽくて薄っぺらい」「自主映画ならまだしも、客単価の高いIMAXで上映したり自身の新譜を同時発売したりして商業色が強すぎる」と別ベクトルの酷評がなされていました。
今はシーア監督に同情
シーア監督は(例えば森昭雄や大山一郎や高橋史朗のように)明確に自閉スペクトラムを敵視したり侮蔑したりしている訳ではないと考えています。撮りたい絵に対するこだわりと信頼できる人間関係から、マディー氏にお声がかかったのではないでしょうか。
自閉スペクトラムの役を定型発達者が演じる映画は幾らでもあります。有名どころでは「レインマン」がそうですし、3月26日公開の「旅立つ息子へ」にも当てはまるでしょう。
逆に「37seconds」や「BAD DREAM」のように脳性まひの役に脳性まひの演者がついたケースもあります。前者は「車椅子ユーザーの役を健常者がやってもリアリティがない。嘘はつきたくない」という「こだわり」から、後者は演者(「脳性まひブラザーズ」のDAIGO氏)との「縁故」から起用した向きが強いです。「こだわり」と「縁故」で俳優を決めた辺りはシーア監督も近似の思考回路だったのではないでしょうか。
マディー氏は映画の撮影にあたってシーア監督に「自分が自閉症をからかっていると思われないでしょうか」と漏らしたことがあります。シーア監督は「そんなことさせない!」と頼もしい返事をしましたが、今は打つ手なしと言った様子で「マディーを批判から守れると思ったが無理だった。最善を尽くしても守り切れないことがあると思い知った」とコメントしています。
自分が納得できる作品へ近づけるためにやってきたことを外野から痛烈に批判されたシーア監督には、個人的に同情の念があります。とはいえ、今後仮にシーア監督がいつかの神埼市長のように「ジヘイはフコウ!」などと言い出したら考えを改めるかもしれませんが。
「質よりお題目」でいいのか
シーア監督はマディー氏起用の是非とは別に、「医師、看護師、歌手の役にトランスジェンダーを起用しているが、誰も映画を観ないで物申しているようで寂しい」とも述べていました。映画の内容がキャストの属性を上回るのではないかという危惧は、アカデミー賞が審査基準を変えると表明した時にも噴出しています。
アカデミー賞の審査基準に「マイノリティの起用」が厳しく定められることをご存知でしょうか。2024年のアカデミー賞から、キャスト・製作陣・スポンサー・広告のうち2カテゴリ以上でマイノリティ(女性、障害者、LGBTQ+など)を一定以上起用することが前提となりました。しかも平社員やエキストラだけではいけません。これを満たさなければ審査を受ける事すら出来なくなります。
実はスポンサー企業と広告企業がマイノリティを採用していれば新基準でもこれまで通りの映画が作れるように理論上ではなっています。よく読めば騒ぐほどでもないそうですが、それでも騒がれるのはキャストの基準に「作品のテーマがマイノリティを扱っていること」が入っているからだそうです。
映画ファンの中には、(アカデミー賞だけが全てでないといえども)マイノリティを扱った大仰なテーマを掲げただけの薄っぺらい「羊頭狗肉」の作品が権威を持つのではないかという懸念があります。無味乾燥な映画でもマイノリティをテーマとして掲げれば激賞されるというのは、逆にマイノリティを馬鹿にしている気がしますよね。
また、「アカデミー賞は自らこうした規約を課さねばならないほどの白人偏重主義だった」という意見もあります。例えば2020年の作品賞は韓国映画の「パラサイト 半地下の家族」でしたが、同作品に出演する俳優は選ばれませんでした。
例に出しておいて何ですが、アカデミー賞はこの件にほとんど関係ありません。ただ、シーア監督の「映画を観もせず物申しているようで寂しい」という嘆きに「質よりお題目」の観客像がありはしないかと思った限りです。単に「一通り映画を観てから文句を言え!」という程度のことかもしれませんが。
シーア監督よ、神埼市長になるな
過去何度も自身のMVに出演していた俳優を縁故採用したシーア監督には、最良の作品を作るための自分なりのこだわりがあったように思います。自閉症の役を定型発達が演じたからといって、本来咎められる謂れはありません。今のシーア監督は「不当な攻撃に晒される表現者」といったところです。
しかし、今後の態度によっては「あ、自閉症に対してそう思ってたのね、じゃ擁護やめるわ」となる可能性もあります。佐賀県神埼市の松本茂幸市長のように「発達障害も原因が分かれば、定型発達として幸せになれる」などと「発達障害不幸論」を出せばもうアウトでしょう。
世界を股にかけるシンガーソングライターのシーア氏が、一地方の首長と同じ失言を放ってしまわないよう、陰ながらお祈り申し上げます。
参考サイト
シーア、自身初の監督映画『ミュージック』に批判殺到!シーアは謝罪でツイッターも削除、問題点はどこ?
https://www.tvgroove.com
シーア、初監督作品が猛批判浴びTwitter削除
https://www.excite.co.jp
シーア初監督作、自閉症の少女を描く『Music』特報&MV
https://www.cuemovie.com
アカデミー賞が発表した作品の新基準について―何が誤解され何が本当に問題なのか
https://note.com
自閉症スペクトラム障害(ASD)