やっぱり必要?障害者手帳
出典:Photo by Brooke Cagle on Unsplash
うつ病を再発し2度目の退職を経験した後、現在通院しながら就労移行支援事業所へ通っています。再就職を目指していますが、今度は障害をオープンにして、自分の発達障害の特性を理解してもらえる職場で長く働きたいと希望しています。
しかし、通所を始めたころは自分の障害についてまったく違う考えで、そもそも「自分の状態は障害にはあたらないだろう」と思っていたのです。この夏に手帳を申請し受け取りましたが、心の中では今も、自身の障害についての葛藤があります。
このコラムでは手帳の申請から受け取った今までの心境を書いてみました。
障害者手帳って必要なの?
通所をきめたときに、就労移行支援事業所の職員さんから「障害者手帳を持っていますか」と聞かれました。「持っていません」と返答すると「これから手帳をとる予定はありますか」と続けて聞かれました。当時は、障害者手帳をもらえるのはもっと障害の程度が重い方であって、そもそも自分の状態は障害にはあたらないだろうと思っていました。
そこで私は「今は、手帳を取るかどうかは決めていません」と答え、心の中では「手帳は必要ないだろう」と考えていました。
その後、私自身に考え方のかたよりと発達障害の特性があり、それらが原因になってうつ病が再発したとわかりました。さらに特性に合わせた配慮が必要であることもわかってきました。そのため、次の就職のために「特性」と「必要な配慮」について担当職員さんと一緒にまとめました。
このように配慮を受けるための用意をする一方、心の中では「自分が障害者であるということ」「職場で配慮してもらう必要があること」を素直に受け入れることができませんでした。
なぜなら「まるで自分が、"普通"の能力のある社会人でなくなる」ことを意味しているように思えたからです。さらに、障害者枠で就職するつもりでいることを両親が知ったら、両親はどんな気持ちになるだろうと心配にもなりました。
どう説明すれば……
両親には、就労移行支援事業所については「うつ病の方の再就職を支援している所」と説明しており「障害者枠での再就職を目指す」ということは伝えていませんでした。「自分の子供が障害者となることがわかったら、ショックを受けるかもしれない」と私なりに両親に心配をさせたくなかったからです。
通所から数か月たったころ、なにげなく父親が「(うつ病が)再発したのは仕事のせいなのか?」と父が2人だけでのときに聞いてくれました。父なら、表向きだけでも冷静に受けとめてくれると、隠さずに答えました。
少し間をおいて父は「次は、フルタイム勤務や正社員などにこだわらず、合った職場で、無理せず働けるところを選んだらどうだ?」「待遇を気にせず、短時間からでもはじめたらいい」と続けました。
その言葉を聞いて私は、父なりに心配してくれていることがわかり、うれしいと同時に、父なら時間をかけて説明すれば「私に合った雇用のかたちとして障害者枠での就職をうけとめてくれるかもしれない」と思えました。
それと同時に「これ以上両親に心配をかけたくない」と心の中で優先順位を決めました。自分が障害者なのかどうなのかということよりも、自分に合った職場で安心して働けることを優先し、就職のために障害者手帳を申請すると。
障害者手帳を受け取りました!
この夏に、主治医の診断書をそえて、区役所の窓口に障害者手帳の申請書類を出しました。それから2か月弱、区役所から封書で手帳ができたとの連絡があり、翌日受け取りにいきました。
本人確認用の書類と手帳にはる写真、通知文を提出し、あっさりと新しい手帳を渡されました。ビニール表紙の手帳を手にすると「私も障害者になった……」安心するような、残念なような、複雑な気持ちでいっぱいでした。
あわせて、手帳を持つ人が受けられるサービスをまとめた冊子をいただき、帰宅しました。両親にはその日、手帳を受け取ったことは伝えませんでした。私自身、落ち着いて伝えられる自信がなかったからです。
冊子をパラパラとめくると、さまざまな障害にあわせて、たくさんのサービスがのっていました。それをみていると、たくさんのひとが障害を持って生きていること、そして、私もその仲間になったのだと感じました。
後日、父と2人きりのときに「(障害者)手帳を取ったよ」と伝えました。父は「そうか」とのみ答えてくれました。まずひと段落したような気持ちになりましたが、まだまだ私自身落ち着いて受けとめられていないので、これから少しずつ自分の考えている就職のかたちを父に話していけたらと思います。