夢叶えたらうつ病になった~うつ病になるまでの私の記録
うつ病出典:Photo by Alex Iby on Unsplash
私はもともと何かと緊張しやすく人前で話すのは苦手で、さらに劣等感も強く自分に自信が全く持てませんでした。 デザイナーを目指すも内定がなかなか決まらず、やっと内定がもらえたのが芸大卒業後の4月でした。晴れてデザイナーとして就職して夢を叶えたのにうつ病になってしまいました。
念願のデザイナーに
私が就職したのはアクリル加工の会社でした。主な仕事は、化粧品などのアクリルディスプレイのデザイン企画と、それらのカットデータ作成、さらにアクリルを使った商品企画や、HPのレイアウトやバナーの作成でした。
芸大時代に身につけたスキルを生かす仕事や、商品企画にたずさわりたかった私にとってやりがいの感じる仕事で、デザイナーになる夢をあきらめなくてよかったと思っていました。
気持ちに体が追いつかない、どうして私はできないの?
楽しく仕事をしていた私ですが、楽しいだけでなく精神的にも体力的にも厳しいところがありました。勤務日が週6日で休みが日曜日と祝日のみで、休みになにか趣味を楽しもうにも週休1日で疲れを取るのに精いっぱい。休日を楽しむともできず、日曜は寝たきりの日がほとんどでした。週休1日で疲れが取れることもなく、疲労を積み重ねながら働いていたのです。
また、実家から通勤していたため通勤時間も長く、家に着くのも20時過ぎの日が多かったです。帰宅後に夕飯を食べて、次の日のお弁当を詰めて、入浴と言った流れでした。早く寝るために自分の時間を削っていたので、趣味を楽しむことをモットーとしている私にとって、とてもストレスになっていました。
学生時代と比べて、環境や生活リズムがガラッと変わり、疲れ切っていた私にとどめを刺したのはできないことを責める自分自身でした。
同期で入った人は電子工学系の専門学校を卒業したばかりの男性と、イラストレーターから転職し同じデザイン職に配属された女性でした。専門卒の彼とは勉強していたことが違うので得意不得意が違うのは当然ですし、転職してきた彼女とは働いた年数が違うので業務のスピードに違いがあるのは当然です。しかし、がんばろうとしすぎた私は自身の実力以上のことを求め、できないことを無理に挑戦してしまいました。
できていないところにのみ目を向け、私は誰よりも自分を責めていました。このころから、自分はなにもできていないダメなやつと思い込むようになったのです。
異変、そしてうつ病発症
だんだんと体力的にも精神的にもしんどくなっていき、ずっと体が鉛のように重く、お風呂に入らずにそのまま寝る日も増えていきました。
ある朝、変わらず体が重いまま「それでも行かないと」と思い会社に向かうのですが、最寄駅から会社までの途中で足が動かなくなり「どうして動かないの」「行かないといけないのに」と思うと、涙が止まらなくてそのまま泣き崩れてしまったのです。また別の日は道の真ん中で過呼吸になりました。
家から会社に向かうと動悸や頭痛が常にあり、私にとって通勤が怖いものになっていきました。
会社になんとかたどりつくことができても、業務に全く集中できない、会社にいると常に頭痛がして、情緒が不安定になり誰もいない部屋に閉じこもって泣くことも多々ありました。酷い時はなにもなくても涙が止まらなくなってしまい、働きたくてもそれどころではありませんでした。
ある日、会社のHPに載せるページのレイアウトをしてほいしいと頼まれ、ラフ案も通り「さあやるぞ」と思いましたが、なかなか上手くできません。普段なら「これがダメならこうすればいい」と切り替えることができるような、ささいなことが判断できなくなり「もうダメだ」「自分はデザイナーに向いていない」「他の人はこんなにできているのに、自分はセンスがないからできないんだ」と責めてしまいました。
このころはもう限界だったのかもしれません。入社時から私のことを心配してくれていた事務の方の勧めで会社を早退し、心療内科に受診することにしました。
そしてうつ病と判明1人では行けるかどうか心配して、彼氏がついて来てくれました。心療内科の先生に「歩けなくて泣き崩れた」「情緒不安定」「動悸や息苦しさ」など症状をまとめたメモを見せました。
それを見た先生は、私にこう質問してきました。「自分はこれっぽちな人間だと思っていますか?」私はすぐに「はい」と答えると「うつですね」といわれました。それを聞いた私は驚きましたが、特に落ち込まず「え、なんだうつなんだ」と思い少し気持ちが楽になりました。
うつ病を周りに打ち明けることに
うつ病と診断され気持ちは楽になったのは事実でしたが、周りはどう感じるのか凄く不安でした。
次の日に出勤し、社長にうつ病だったことを話すと「自分だって研修の時に毎朝、体が重かったからそれってうつじゃん、○○さんは剣道してたしいけるよ」といわれ、いい返せず業務に取り掛かりましたが、パニックになり「もう無理です!」と泣きながら叫んでしまいました。
その後会社を早退し、家族と話しあった結果、父とは少し喧嘩もしましたが「休みをもらって通勤に慣れる訓練をするのはどうか」と提案をしてくれました。母は社長に連絡するときにフォローをしてくれたり、休むことを責めないでいてくれました。
姉には「始まったばっかりやのにもったいない、復職はいつするの」といわれ落ち込みましたが、姉なりの心配だと思っています。弟は風邪をひいた程度で思っているみたいです。
祖母や叔母にも打ち明け、2人からは「仕事なんかいっぱいあるんだから、ゆっくり休んで」「なにかできることがあったら教えて、打ち明けてくれてありがとう」といってくれました。
高校の部活の友人からは「倒れる前に休めっていったでしょ、この子ったら真面目過ぎるんだから!」と叱られ、幼馴染からは「そら週6で働いたら病むよ、顔やつれてるし」「時間できたんやったらどっか遊びにいこ」といってくれました。
病院について来てくれた彼氏は「今まで頑張ってきたの知ってるからゆっくり休もう」「自分のペースでいいんだから焦らないで」と言葉をかけてくれたのを今でも覚えています。
現在
現在は会社は退職し、就労移行支援に通っています。未だに気分の落ち込みや、不安、焦りもありますが、人に相談することを習慣にしたり、日記にアウトプットするなどして対処しています。焦って予定を詰め込み過ぎて「もうすでにがんばってるからがんばるな」と彼氏に叱られることもあり、70%の力でがんばることを意識して生活してます。
就労移行では、自分が気づいてなかった「発表が上手」「発信力がある」「グループワークで自分から積極的に発言できる」といった強みをスタッフさんを通じて知り、少しずつですが自信もついた気がしています。
最後に
1度夢を叶えたがゆえに「このまま頑張って続けてたら」と考え、後悔するときもありますが、私はイラストを生かした仕事をしたいという新たな夢を見つけることができました。
1度その夢が終わったことで、人生が終わることは無いと思います。
うつ病