発達障害と気づかず生きてきました

発達障害 うつ病

出典:Photo by Sylwia Bartyzel on Unsplash

私は子供の時から「何でお前だけ普通じゃないんや」と家族や親せきから言われつづけてきました。「自分では普通にしている」つもりなのに何が違うのだろうと悩み続けてきました。

やがて「自身の発達障害」と出会うことにより暗闇の人生が大きく変化しました。今回はそのエピソードを紹介します。

子どものころの思い出

小学校の時は、周りの友達は放課後はボール遊びなどしてましたが、自分は独りで、木の棒を片手に探検気分で家から遠くへ遊びにいったりするのが好きでした。周囲の大人から変な目でみられたり、同級生から馬鹿にされたりしましたが自分はあまり気にしてませんでした。

中学校に入ってからは遠出しなくなり、少し落ち着きました。しかし、あまり自分の意見を言えない性格だったので、周りに目を付けられて同級生や上級生にいじめられていました。そのため、学校にいくのは嫌でしたが、父が休ませてくれず、嫌々学校にいっていたのです。外は学校、内は家で逃げる場所はありませんでした。今考えたら、あの時よく自殺をしなかったなと思います。

高校は校則が厳しい学校でしたが、いじめがなく自分に合っていて、楽しく高校生活が送れました。高校を卒業してからはラジオ番組を制作する専門学校に入学しましたが、人見知りが激しいためクラスの人とほとんど喋ったことがなかったですが、優しく、よくしてくれました。自分で考えた番組構成は周りからは「発想が読めないし、面白い!」と評価もしてくれました。1人でスタジオにこもって番組構成を延々と考えていましたが、それが何時間連続であろうと、何も口にしない状態が続こうと、苦痛と感じたことは一度もありませんでした。

転職と離職の人生

専門学校を卒業後、自分がやりたい仕事が、音楽業界のため、なかなか仕事が見つからず、全く違う仕事に就きましたが、どの仕事も3年以上続くことはなかったです。

仕事を辞めるたびに親族から「また辞めたんか」など罵倒され続けました。そのため「根性がない自分が悪い」と自分を責め、周りの意見が全て正しいと思い込んでいた日々が続きました。親族の中には「いい加減に自立しろ」「どれだけ親に心配や迷惑をかけるんや」などきつく怒鳴り散らす人間もいました。

やがて、営業の仕事に就きましたが、成績が思うように上がらず、上司に怒らる日々が続き、退職をする決意をしました。しかし、頭がパニック状態になってしまい、辞める直前に死ぬつもりで東京まで逃げだしました。今思えば、あの時はかなり精神的に追い詰められた状態だったと思います。

うつになったきっかけ

いろいろな職場を転々しながら最終的に介護職に就きました。本当は介護職が希望でなく、デザインの勉強をしながら働くために介護職を選んだだけでした。マニュアルや教育制度がしっかりしているものだと思ったのですが、現場ではマニュアルのようなものはなく、人手不足のせいか、ほぼぶっつけ本番、さらに臨機応変に動かないといけない職場だったのです。

そのため「今、自分が何をしようとしていたのかが全く分からない。まるで頭の中に霧がかかったような状態」が何度も起きて、そのたびに先輩職員に怒鳴られました。ひどい時は「次同じ失敗をしたら殴るからな」と教育係の女の職員に詰められたこともあります。

そんな日々が続き、職場の所長に辞めたいと訴えました。所長に理由を聞かれましたが、逃げたい気持ちがいっぱいで「自分でもよくわからない」としか答えられませんでした。今思えば、あの段階でうつ状態だったんだろうと思います。

しかし、泣きながら土下座をするも所長は辞めさせてくれませんでした。今なら退職届をだしてすぐに辞めていますが、当時の自分にはそれがどうしてもできませんでした。それから数日後、辞める代わりに自分の命を投げるつもりで遺書を残し、家を飛び出したのです。

飛び出した後、何度も親から電話があり、説得され踏みとどまりました。退職の手続きなどは全て親にまかせ、1か月ほど休んでから仕事を探そうと考えていましたが、そのころから体調や気分に異変を感じていたのです。

ネットで検索するとうつの症状に近かったので、友人に相談し、紹介された心療内科にいくと「うつ病ですね」と診断されました。その日は薬をもらい、ゆっくり休むようにと言われて帰りました。「そうか……うつだったんだ」と体調不良の原因がわかり内心ほっとしたのを覚えています。病院にいくまでは「うつ病」と診断されたらショックを受けると思っていましたが、不思議と涙はでませんでした。

家族との衝突

それから数か月の間、家族は精神疾患に対して理解がなかったため、何度も揉めることもありました。うつ病を理解できていないせいか「今は~という気分やからきつい言い方をするのやめて」と言っているのに何度も同じことをくり返して、そのたびにうつが悪化し親と揉めたり、姉や妹からきつい一言を浴びせられたりしました。別に向こうも悪気があってやっているのではないと、わかっています。

最初は理解をしてくれるまで時間がかかりましたが、根気よく伝えていくことで、現在はようやく理解してもらえました。

発達障害と就労支援事業所

ある日、病院の待ち時間に就労支援事業所とかれた漫画付きのパンフレットがあったので読んでいると「まさか自分も発達障害では?」と思うようになりました。主治医の先生に質問したら「よくご自身でお気づきになられましたね」と逆に驚かれました。ASDと呼ばれる発達障害の傾向が強いと言われ、検査をすることになり、診断の結果「傾向がある」とでました。

これからどうしようと思い、パンフレットに書かれていた就労支援事業所に見学を希望しました。その当時はうつ病の状態も不安定でしたが「自身の障害や、自分との向き合い方」をスタッフが支援してくれるという説明を受け、見学した事業所の雰囲気も明るいので通うことにしました。

それから自分の物の考え方や価値観などが、これまでと大きく変化しました。スタッフさんとの相談などで、うつの再発防止や自分の障害の特性、障害者雇用制度や障害年金などを、知ることができたのです。

どれも自分が生きていくうえで、必要なことばかりだったので「自分が今まで知らなかったことが多かった」というショックが何度も頭の中をよぎりました。「もっと早く自分が発達障害かもと気づいていたなら……」と思うことがあります。それを踏まえて過去の人達に怒りを覚えたこともありました。

いまさら、親戚や家族を責めるつもりはありません。時代が時代とはいえ、どれだけ責めても時計の針は戻ることはないのです。

「少しでも自分が周りの言葉に疑問を抱いたなら」「他人の意見を鵜呑みにせず疑いだしていたならば」自身のこれまでの歴史は大きく変わっていたと思います。でも、大事なのは過去ではなく未来。今はこうして「自分に大事なことを教えてくれる、支援をしてくれる方々」がいます。

やがては、障害者雇用で社会に貢献し、自分と同じ境遇や苦しみを持っている方に対し力になれるよう考えています。うつ病になり発達障害と診断されてからは、人の温もりや優しさを深く感じ取れるようになりました。もしかしたら「ASDは自分を暗闇の人生から救ってくれる救世主だったのかな」と、最近では思うようになれました。

蕭何

蕭何

常に何か面白そうなネタがないか、面白いことがないか考えているヒマ人。ASDの発達障害の特性を活かし、自分に合う仕事が見つからないかと日々祈り続けています。

自閉症スペクトラム障害(ASD) うつ病

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