私が発達障害と診断されるまで

発達障害

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こういったページをご覧になるかたは、ご自身が何かしら診断名を持っているか、その親族のかたが多いかと思います。そういったかたがたに対し、私の経歴と診断名が付くにいたった経緯が何かしら参考になるものがあれば良いと思い、コラムを書きました。

私に付いている診断名

私には「自閉症スペクトラム」と「多動性障害」の診断名が付いております。現在20代後半になりますが、大学卒業後の22歳の時にこの診断名が付きました。

大学卒業当時は自己評価が著しく低く、自分に欠点があることが許せない時期でもありました。今は「自分に対して求めるハードルを短期間に高く設定しすぎない」「目指すところはあっても焦り過ぎないように」と常々己にいい聞かせることで精神面的なバランスをたもっています。

家族は通院する前は私に診断名が付くことに懐疑的でしたが、きちんと説明をすることで理解をしめしてくれているようです。

就職に関してはクローズ就労でいこうか、オープン就労でいこうか迷っています。現在の私は自身の特性について理解し、おおむね対処できている自信はあります。とはいえ、ブランク期間の説明をするためには、就労移行支援事業所に通っていたことも含めた方が経歴に一貫性が出るため、そのあたりは時々に応じて使い分けようかと考えています。

ここからは私の人生を振り返りつつ、自分の性格傾向や特性を書いていきたいと思います。

私のおおまかな人生の振り返り

私の実家は関東の田舎で呉服業を営んでいました。そのためか家族、とりわけ母親がしつけに厳しい人でした。礼儀作法やお箸の持ち方、姿勢といった所作に関する部分は特に厳しかったです。自営業なので家に帰っても大抵お客様がおり、また自分の部屋などのパーソナルスペースが与えられているわけではなかったので、非常にストレスフルな環境で育ちました。

当時は反ゆとり教育の風潮が強く、周囲の大人たちも子供に対して厳しい評価を下す方々が多かったせいか、自尊心は低かったです。学業の成績は今から思えばそこまで悪くなかったとは思うのですが、周りからはより良い成績を取ることを常に求められ、かなり苦しかったです。私は今以上の成績を取ることに目的意識を持てなかったため、思春期あたりからは「何のために勉強しているのだろう?」と自問自答していました。

高校~大学でもそれなりに偏差値の高いところには進学はしましたが「自分がやりたいから」というよりは、家族を含めた周囲の大人の意向を私なりに尊重した上での選択をしました。ですが、学校は私よりも熱意のある優秀な学生が沢山いて、求められる水準も高かったため、ついていくのに必死でした。

そういった環境からできれば逃げたかったのですが、家族に対する体裁や世間体を保つため、自分の意思に反して通っていました。そのストレスから逃れるため私は夜遅くまでゲームにのめり込む生活を送るようになっていました。先述にある通り「パーソナルスペース」や「自分の時間」が少なかったため、実質夜中の布団の中が唯一心の安らげる時間と空間でした。

学業においては慢性的な寝不足からか授業中の居眠りや提出忘れ、提出期限遅れが頻発し、スケジュール管理がうまくおこなえていませんでした。

幸いにも留年や浪人を経験せずに無事に卒業はできましたが、今のスタンスで生きていくことに限界を感じ、就職活動はしませんでした。そこで、ひとまず自分の中で感じた辛さを主張する必要があると感じ、学業において物忘れがあったり、スケジュール管理ができていなかったことを理由として挙げ、心療内科の受診を家族に打診しました。

家族は当初は「問題があるようには見えない」とのことでしたが、大分私が参ってる様子を見て察してくれたのか、心療内科を探してくれました。またこのころは父親が他界し、呉服業の経営にも陰りが見えていたころではあったので、母親ほか、近しい大人達も価値観やライフスタイルの再考を迫られている時期だったようです。これは当時の私にとっては追い風として働いたのかと思います。

経歴を踏まえた診断結果

心療内科での診断結果はコラムの最初にある通りです。お医者様からは「特性や個性は誰しもあるもので、ご自身の工夫や、周囲の理解や協調によって診断名が無くても生活を送られている方もいらっしゃいますが、あなたはどうですか?」といった質問をされました。当時の私は、ともかくライフスタイルを再考する時間が必要だと感じていました。自分の方向性を考える時間的猶予を周りに認めてもらうために、何であれ医学的理由付けが欲しかったのだと思います。上記の質問に対し「私には(診断名が)必要です」といったむねを伝えたところ、その様な診断結果になりました。

その後は、地元のコンビニエンスストアにて5年ほど働いた後、店舗改装とオーナー交代の機会に退店し、自分の就職活動をするために就労移行支援事業所に通うこととなりました。

過去の振り返りから見る、診断名がつくにいたった要因

診断名が付いた大きい要因のひとつは環境にあると分析しています。大人が「大人の正しいとされる価値観」を一方的に提示するだけで、個人に考えさせる時間や機会を設けられなかったこと。もうひとつはそんな環境に対し、自分の意思に反して表面的に同調するばかりで、自分の意思表示をせず、その場しのぎの現実逃避をすることしかできなかった自分も、要因のひとつかと思っています。現実から目を逸らすあまり、現実生活に支障をきたした結果、診断名が必要になってしまったというのは反省すべきことだと思っています。

障害をお持ちの方にとってはそれが先天的なものであるか(元々原因が本人自身の内部にあった)、後天的なものであるか(原因を形作った外部にある)というのはひとつ重要なポイントかと思います。今のところ、私に関してはその原因の多くは周囲の環境にあると思っています。 環境が変わった(自身でも変えるよう行動をした)ことによって現在は症状の改善が充分に見受けられているなら、今後は特に障害に関して、外部からの配慮は特に必要に感じていないというのが現在の私自身に対しての見解です。

反省を活かした今後について

過去の私は自分の本心を抑圧し周囲に同調した生き方をするあまり、ストレスを溜め込み、その分のシワ寄せが回り回って現実生活におよぶという悪循環におちいっていました。私に付いた「障害」というレッテルは中々払拭しづらいものであり、今後も付いて回るものではありますが、それと上手くつき合いながら、自分の本心と常に向き合い、適宜発信していく努力は怠ってはいけないと思います。

昨今ではよく自己啓発や自己実現というワードを耳にします。社会的にもひとつの価値観に拘るのではなく、もっと柔軟に、自分の生き方を再定義していこうという風潮はあるのかなと感じています。今回は私の振り返りと自己分析でしたが、今後は自分にとっての自己実現とは何か?という命題にシフトし、自身に問いかけていきたいと思っています。

シン・めかぶ帝国

シン・めかぶ帝国

こんにちは。シン・めかぶ帝国と申します。私のコラムページにお越し頂き、どうもありがとうございます。色々あって大学卒業後、発達障害の診断を受けました。最近朝にめかぶを欠かさずに食べてます。自分の精神と肉体を鍛えたいと思い、日々精進しています。余談ですが玉ねぎのみじん切りが上手く出来るようになったのが内心誇らしい今日この頃です。

自閉症スペクトラム障害(ASD) 注意欠陥多動性障害(ADHD)

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