自閉症スペクトラムと診断されるまで
発達障害出典:Photo by Johannes Plenio on Unsplash
私は16さいのときに自閉症スペクトラムと診断されました。この記事では、私が学生時代に自閉症の症状と気づかずになやんでいたことや、手帳取得にいたるまでの経験を書いています。なにか参考になれば幸いです。
苦痛だった小学校時代
私は小学校時代、家では普通にしゃべれていたのですが、クラスメイトの前ではまったく話せませんでした。クラスメイトに返事を返すときは首を縦に振るか、横に振るかのみでした。そのせいもあってか、小学校2年生のときまではいじめられていました。毎日、なにかと理由をつけられては頭をなぐられました。
このころは「少しでも今日は、なぐられないようにしないと」と考えるのに必死でした。
小学3年生になるとクラス替えもあり、私をいじめていた生徒とは別々のクラスになったことで、いじめは徐々になくなっていきました。ですが、例えいじめがなくなったとしても、相変わらずクラスメイトとは話すことはできず、友人もいなかったので小学校生活が苦痛であることに変わりありませんでした。
不登校から半不登校へ
悩みと葛藤を抱えながらも小学校を卒業した私は、中学校生活をスタートしました。ですが、中学生になってもクラスメイトと話すことはできませんでした。それに加え、美術や技術家庭の科目では、他の生徒よりもあきらかに作業のペースが遅いと自覚したのです。このころから「自分は他の人とはなにか違う」と思いはじめました。
ですが、中学1年生のときの私は、演劇部に入っていて、その部員と部室の中だけでは普通に話すことができていました。しかし、部室以外の教室や場所では部員であったとしても、話すことはできませんでした。
部活動は、夏休みも自分なりにせいいっぱい励みました。そんなこんなで夏休みも終わり、いつもどうりの学生生活がはじまり数日がたったころ、私の体調に異変が起こったのです。朝、ふとんから起きようとするも、体が鉛のように重く起きられませんでした。その日は結局、がっこうをやすみました。
そして、その日から、次の日も、次の日も、その次の日も……家に中にこもりっきりになり、1日の大半は寝てすごしました。起きていてもただボーっとしているだけの時間が多かった気がします。
再び学校にいけたのは、中学3年生になったときでした。そのときの担任の先生はわりと融通がきく先生でした。なので、授業は参加せず放課後の部活だけいくということを許可してくださりました。そこからは卒業まで半不登校の学生生活が続きました。
自閉症スペクトラムだと診断される
中学を卒業後、私は専願で受験した市立の高校に入学するも、クラスメイトと話せないことと、勉強量とテストの多さに耐えきれず、半年足らずで自主退学してしまいました。そして、退学する際にそのときの担任の先生から、ケアスタッフの先生を紹介してもらいました。
その方は、実家の最寄り駅の近くにある、府民センターの一室に勤務していました。そして、私はそこのセンターに通うことになりました。
通ってから数日たったころ、その方から「発達障害の診断テストを受けてみないか」と提案されました。そして、私は母に連れそってもらい、隣町のこども家庭センターに発達障害の診断テストを受けにいきました。そこで、私は「自閉症スペクトラム」と診断され、しばらくしてから療育手帳を取得したのです。
その後
私は小、中、高とクラスメイトと話せないこと、他の人より作業が遅いことや、そのほかの複数の悩みごとがありました。ですが、自閉症スペクトラムと診断されたことで、いろいろな悩みごとが「あぁ、そうだったんだ」と腑に落ちて、気持ちが楽になっていきました。そして、ほんの少しですが人と話せるようになったのです。
それでも、いまだに改善しない症状はありますが、自分なりに工夫をこらすことで、改善したものもあります。例えば、人と話すときは、聞き手に徹するという方法をとっています。
ここまで読んでいただいて、ありがとうございます。障害で悩んでいる学生さんの、なにか参考になれば幸いです。
自閉症スペクトラム障害(ASD)