聴覚情報処理障害~今までの自分、これからの自分

その他の障害・病気

出典:Photo by Derek Lee on Unsplash

2021年9月。私は「聴覚情報処理障害」(APD)の疑いがあると知りました。これから書く内容は幼少期の私のこと、この障害を知って思ったことについて書こうと思います。正直あまり覚えていなく、曖昧なところもあります。

聴覚情報処理障害(APD)とは

話に入る前にどういった障害なのか軽く説明します。聴覚情報処理障害。別名APD。この障害は聴力には問題ないが、日常生活の色々な場面で聞き取りにくく、聞いた内容を理解しづらい症状がある障害です。他に口頭で指示されたことを忘れる、聞き間違い、聞き返し、話の抜け漏れなど色々と症状があります。

幼少期

小学生のころは相手が何をいっているのかが分からなかったり、自分のいいたいことが上手く伝えられず、よく泣く子でした。あと、いわれたことをすぐ忘れたり、聞き間違いや、聞き返しが多く、先生に注意されることも多かったです。また、学力はよくはなかったです。

特に国語がとても苦手でした。漢字を覚えること、作者が何を伝えたいのか全く分かりませんでした。聞き取り問題も何をメモしたらいいのか、今何をいっているのかが全く分からず、高得点を取ったことは1度もありませんでした。

詳しいことは聞いていませんが、私の親は私のことを心配してWISC検査(知能検査)を数回受けました。どういったことをしたのかはあまり覚えていませんが、難しかったけれど楽しくできたとこだけは覚えています。当時の結果はどうだったのか未だに詳しくは聞いていません。

4年生のころに学習塾に通うようになりました。学習塾の授業は好きだったけれど唯一、漢字テストがとても嫌でした。嫌すぎて、漢字の読み書きを泣きながら練習していたのを覚えています。

もし、この学習塾に通っていなかったと思うと、今でも漢字の読み書きが苦手だったと思います。そう考えるとゾッとします。このころに学習塾に通っていてよかったです。

中学生になり、私は周りと比べると学力が低いととても感じました。学ぶことは好きだったけれど、勉強がとても苦手でした。今でも自分に合う勉強法や、効率のいい勉強が分かりません。やはり、国語が苦手で、放課後、国語の先生にお願いして勉強を教えてもらっていました。

部活は好きだったけれど、部活を休んでまで勉強を教えてもらいました。最初のころは顧問の先生に放課後勉強を教えてもらうために部活を休むなんていえなくて、仮病を使って休んでいました。

ある日、放課後勉強を教えてもらっていることがバレました。怒られるかと思っていましたが、そんなこともなくこれまで通り勉強をすることとなりました。

当時の担任の先生は、私が放課後に部活を休んでまで勉強を教わっていることを知っていました。国語の先生と顧問の先生から「担任の先生とこんなことを話したよ」と教えてもらったことがあります。その内容は全て私のことでお願いされたり、感謝していたということでした。裏でそういったことを話していると知って感動しました。

結局国語の成績はグッと上がることはありませんでしたが、放課後に勉強したとこはずっと忘れません。今振り返ると、私はたくさんの大人が動いていたおかげで頑張れたのだとつくづく思います。

就職活動と就職

私は専門学生のころ自分が働きたいなぁと思っていた会社は、全てコロナ禍で「今年は採用しない」と書いていました。その年は就職活動をしませんでした。ですので、学校を卒業してからひとりで就職活動をしたのです。

5月に入社し最初は研修期間でした。最初の1週間手元に資料など何にもない状態で8時間休憩なしのリモート研修でした。研修はどんどん進んでいく中、資料がない状態だったので、何の話をしているのか全く分かりません。質問をするにしても何について質問すべきなのかわからず、ずっとパニックでした。

リモートの研修が終わり、2週目からは勤務先で業務をしていました。毎日ノルマ1000枚のポスティング、原稿4ページのマニュアル暗記など、他にも色々な業務に追われ休憩なしで1日10時間働いていました。休日も早朝からリモート会議、マニュアル暗記で休むことができなくて2週間で仕事を辞めてしまいました。

私の耳について

話は変わりますが、元々私はよく中耳炎になる子でした。学校から帰って耳鼻科にいくことがよくありました。

2021年1月、耳に違和感があり「いつもの中耳炎だろう」と思って耳鼻科にいきました。いつもの中耳炎と違うとこがありました。それは声や音が聞こえなかったとこです。耳鼻科にいくと「中耳炎だけど結構酷い」といわれました。中耳炎に変わりはないので日が経つと治るだろうと思っていました。

しかし日は経っても、音は聞こえているけれど、声は薄っすらしか聞こえませんでした。その状況を耳鼻科の医師に伝えると「はっきりとはいえないが、聴覚情報処理障害。APDかもしれません」といわれました。そのときはじめてAPDという障害があることを知りました。

検査をしている病院が1か所しかなく、少し遠い場所だったので、そのときは検査をしませんでした。

検査をした経緯と結果。自分の気持ち

のちに耳鼻科にいわれたこと、リモート研修で大変だったことがあったので、通院していた耳鼻科の紹介で検査を受けにいきました。聴覚情報処理障害を検査している病院がそこしかなかったので、事前に予約して通院する日を決めなければなりませんでした。私は仕事を辞めてすぐだったので、予定などほとんどなく、通院する日を医師に決めてもらい、その通りに通院していました。ですので、6月に検査を受け初め9月までかかりました。

結果、聴覚情報処理障害の疑いがあると分かりました。そのときは少しショックでしたけれど、それよりもホッとしている自分もいました。なぜなら思い当たる節があるからです。小学生のころの聞き取りテスト、日常生活での聞き間違いや聞き返し、すぐに忘れること、リモート研修。まだまだ思い出せば色々と思い付きます。

これらは周りができていて、自分ができていないことだらけでした。自分ができていないのは自分が全く学んでいない証拠だと思っていました。障害のせいにするのは少し違うと思いますが、この障害があるから苦手なのだと分かったのです。

終わりに

私は今「就労移行支援事業所」を利用しています。そこでも口頭指示で聞き間違いや聞き返し、指示されたことを少し忘れることは多々あります。完全に治すことは難しいかもしれないが、ミスを減らせるように心がけています。

聴覚情報処理障害は世間ではあまり知られていない障害で、障害者手帳を取得できなく、クローズ就労で就職することとなります。クローズ就労で就職することはあまり気にしていませんが、少し不安はあります。

「会社が受け入れてくれるのか」「従業員の方に理解されるのか」

それに1度就職したけれど、うまくいかず、すぐに辞めてしまったので社会人としての経験がほとんどありません。

それでも、これからは今まで私がたくさんの方にしてもらったように、誰かのために役に立てる大人になりたいです。いや、なっていきます。

チータラ

チータラ

文章を書くのはあまり得意ではないですが、初めてコラムを書いてみます。

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