国会で重度障害の議員が用いた「あかさたな話法」とは何か?
身体障害重度の障害を持つ天畠(てんばた)大輔参院議員(れいわ新選組)が国会の質疑で用いた「あかさたな話法」がニュースで取り上げられました。全身が自由に動かせず、自分の口ではほとんど話せない天畠議員。あかさたな話法は彼の母親が意思疎通の為に編み出した全く新しいコミュニケーション方法だといいます。
介助者が一文字ずつ読み取り、最終的に言いたいことを先読みするという、互いの経験や信頼関係を問われる話法で、天畠議員は「聞く力というのであれば、わたしたち当事者の声を聞く機会を作ってください」と岸田総理に訴えました。そんな「あかさたな話法」と、天畠議員の来歴について触れてみたいと思います。
14歳で重度障害者に
1981年生まれの天畠議員は、後天的に障害を負うまではゲームとパソコンが好きな健常者の少年でした。彼の運命が変わったのは14歳になってからのある日、急な体調不良で病院に担ぎ込まれた時のことです。医療ミスによる心肺停止状態を20~30分放置されたことで、脳を損傷した天畠議員は重篤な後遺症を背負わされました。
天畠議員には重い四肢麻痺と視覚障害と言語障害があり、自力での移動が全くできないほか読字や発語もほとんど出来ません。24時間常に介助を必要とする状態で、国会でも介助者が同伴していました。
これほど重い障害なので、医師からは「この先ずっと植物状態で、知能も低下し続ける」と言われ、退院後は特別支援学校へと転校します。しかし、結果的には誤診でした。天畠議員には聴力と知的能力が残されていたのです。読み聞かせによって知識を蓄えることが出来ましたし、アウトプットの手法も皆無ではありませんでした。
支援学校の高等部に上がった天畠議員は、「恩師」と運命的な出会いをします。その恩師は厳しく囲い込むでも過剰に甘やかすでもなく、放置されていた電動車いすを蘇らせたりワンボタンで動かせるワープロソフトをプログラムしたりと、理数系のアプローチで支援してくれました。生きる楽しみを見出した天畠議員は、やがて大学受験を志すようになります。
天畠議員にとって、大学受験の道は筆舌に尽くしがたい苦難の連続でした。まず支援学校は進学希望があまりにも少数派なので、大学進学のことは考えておりません。大学の名前すらも自力で調べなくてはならず、一校一校訪問する必要がありました。天畠議員が支援学校を卒業したのは2000年で、ルーテル学院大学に進学したのは2004年です。配慮する側も暗中模索な4浪の間、受験勉強と並行して文部科学省や全国の私立大学を訪問していました。
介助人の許可や個室受験や時間延長などの配慮を出来たのがルーテル学院大学です。天畠議員の受験勉強は、聴力で挽回できる英語を中心とし、視覚情報の多い日本史などは合格点ギリギリを狙う危なっかしいものでした。そのため1度は落ちたものの、2004年に晴れてルーテル学院大学神学科への入学を果たします。
大学では良き友人や千葉大学のボランティアに支えられながら、飲み会ひとつでも介助を要する不自由さこそありましたが、平穏に過ごします。自分以外にも障害を持つ学生が多いと感じた天畠議員は、自分でサポート組織を立ち上げて大学直轄にまで成長させる活動もしていました。粘り強く介助してくれた全ての人に、天畠議員は感謝しながら、大学を卒業してから今に至ります。
母親が編み出した「あかさたな話法」
「あかさたな話法」は介助者とのサインを介したコミュニケーションです。まず介助者が「あ・か・さ・た・な…」と行を並べ、目的の行で手を引くなどサインをします。次に「あ・い・う・え・お…」と列を並べ、同様にサインを送り一文字伝えるという具合です。
ずっと一文字ずつでは時間がかかりすぎるので、実際のコミュニケーションでは介助者の判断力やアドリブが求められます。例えば、「こ」「ん」だけ分かった時に介助者が「『こんにちは』ですね?」と確認し、違っていれば「では『こんばんは』ですか?」と別の候補を挙げたり、もう一文字出してもらったりして、言いたいことを引き出します。いわば「予測変換」のような役割をします。
これが生まれたきっかけは母親の思い付きでした。入院中のある日、点滴の補充を忘れられたことで天畠議員は飢えを訴える必要に迫られます。苦しそうな息子を案じた母のアイデアは、現在のあかさたな話法とほとんど変わらないそうです。1時間かけて「へ」「つ」「た」の3文字が伝わると、母親はようやく空の点滴袋を見つけました。これが天畠議員のコミュニケーションの原点です。
天畠議員はこのコミュニケーションに最後まで付き合ってくれる全ての人々へ、しきりに感謝の念を述べています。裏を返せば、それだけ伝えるのに時間がかかり、我慢強さを求められる話法でもあります。受験にしても卒論にしても、期限を延ばしてもらう配慮は必要不可欠でした。言葉に感情を乗せられないのも難点ですし、濁音や半濁音など文脈で予測を立てねばならない部分も多く、介助者に求められるものも多いです。
すぐ真似できるものではない
あかさたな話法の問題点は介助者に我慢強さやアドリブなど多くのスキルを求めるだけに留まりません。他にも以下のような問題点が指摘されており、一朝一夕に真似できる代物でないことがわかります。
思い込みに繋がりやすい
発語すら難しいほどの障害者と通じ合える瞬間というのは精神的にも高揚し全能感に包まれます。成功体験は大切ですが、「通訳できた!」という思い込みのまま突っ走らないように素人を指導する必要もあるでしょう。玄人でも「信頼関係が出来た」と思い込んで取り返しのつかないミスをすることがあります。
伝え間違いの訂正が難しい
介助者の腕を引くなど障害者側のサインが重要となる訳ですが、誤解や早とちりも起こるでしょうし、人によっては不随意運動で勘違いされる場合もあります。こういった伝え間違いをどう訂正すればいいのかが非常に難しいのです。
とにかく時間がかかる
時間がかかるという短所はどうしようもありません。持ち時間を延ばしてもらうなどの配慮を受けるしかないと思います。受験テストの時間にせよ卒論の期限にせよ、色々と延ばしてもらう合理的配慮が天畠議員にとって何度も生命線となってきました。
テストの方法はある
気持ちや考えを介助者の口から伝える以上、障害者側の真意はしばしば疑われます。意地悪な見方をすれば、介助者が(発言の責任を押し付けたうえで)好き勝手に喋っていることさえあるかもしれません。ただ、障害者側の言いたいことを伝達できているかどうかのテスト自体は存在するようです。
テストのやり方は単純で、障害者側だけが聴いた音声が何かを介助者が尋ね、正しく伝達できているか読み取ります。音声課題となる単語は何でもいいですが、介助者が知らないように場を整えねばなりません。
例えば、「あたま」という単語を聞かせたなら、介助者が「あたま」としっかり読み取れたか記録し、これを何度か繰り返して伝達の精度を調べます。単語も「アパート」「じゃがいも」と段々難しくしていくといいかもしれません。もし介助者が出しゃばりすぎていると、実際に聴かせた単語と介助者の回答がズレるという仕組みです。
あかさたな話法のような介助されたコミュニケーション手法は、発語の難しい障害者が自身の考えや意見を伝達できる画期的なものとして期待されるでしょう。その一方で、介助者に求められるスキルや真意を疑う厳しい目、持ち時間を延ばすなどの合理的配慮を受けられるかどうかなど、課題も様々です。
参考サイト
重度障害のれいわ天畠議員が「あかさたな話法」で岸田総理に初質問
https://news.yahoo.co.jp
第43回NHK障害福祉賞優秀作品「『あ・か・さ・た・な』で大学に行く」天畠大輔
https://www.npwo.or.jp
素人が「あかさたな話法」をマネしてはいけない理由
https://note.com
身体障害