戸塚ヨットスクールと、その魂を引き継ぐフォロワーたち

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Photo by Winston Chen on Unsplash

有史に残る体罰で死人まで出し話題となった「戸塚ヨットスクール」と、その主である「戸塚宏(とつか・ひろし)」。戸塚氏は体罰礼賛だけでなく「脳幹論」などの似非科学を展開しており、精神医学分野などからは要注意人物としてマークされている存在でもあります。

校内暴力や学級崩壊などが問題となっていた1970年代、戸塚氏とスクールは著名人を含めた多くの人間から救世主のように崇められていました。熱烈な支持の裏には時代柄というものもあったように思います。しかし、今でもなお「必要悪」などと崇める声があり、その出所にはダウン症や発達障害への差別感情も加わっています。

設立はヨットでの成功体験から

戸塚ヨットスクールは1976年に設立されました。戸塚氏は大学時代にヨット部の主将を務めており、社会人になってからも太平洋横断レースで優勝した経験から、最初は「オリンピックで通用するヨットマンを育てるため」としていたようです。それが翌年から不登校児の更生に効果ありとマスコミに紹介され始めたことで、当時は情緒障害と呼ばれていた子どもたちの更生施設を名乗るようになりました。

戸塚氏にとって絶頂期でもあった1980年前後は、校内暴力や不登校といった教育荒廃が問題視されている時代でした。不登校・引きこもり・家庭内暴力を繰り返す青少年を矯正できると自称する戸塚氏は、スクールともども注目を浴び、入所希望だけでなく戸塚氏の意見を妄信する者もまた数多く現れたそうです。

入所者を角材で殴って死なせるなどの傷害致死罪で戸塚氏が逮捕されたのは1983年のことです。世にいう「戸塚ヨットスクール事件」です。テレビ全盛期に全国報道されることは非常に大きな意味を持ちます。戸塚ヨットスクールは「体罰死の象徴」としてイメージ付けられ、「不謹慎ネタ」としていじりの対象となりました。

一方、戸塚氏を支持する人間たちによって「支援する会」も発足され、「死亡事故や歪んだ報道によって謂れなき中傷に晒されたスクールを守る」として支援活動を始めました。戸塚氏を「甘やかす」大人たちもまた、非常に多かったのです。

戸塚氏は2006年の出所後から施設運営に復帰しており、それからも自殺や不審死が相次いでいて不安定な状態が続いています。多くの死者を出していながら、スクール自体は不思議と現在もなお続いています。体罰に関しては公式サイトで「効率がいいので体罰はしたい。でも出来ない」と答えており、相当フラストレーションが溜まっているものと思われますが、それでも辞めないあたり相当図太いですね。

また、ヨットや大海原といった状況から分かるように、戸塚氏は逃げ場を塞ぐことに拘っています。「入所者は逃げ癖があるので、何かにつけてサボったり逃げたり脱走したりしようとする。これをある程度想定しないと簡単に騙されて逃げられる」としており、入所者の家族には戸塚氏への全幅の信頼と服従が求められたそうです。

体罰の象徴

植松聖が「障害者差別の象徴」となったように、戸塚氏は「体罰の象徴」として認知されています。今なお体罰を至高とする姿勢は、老いゆえに思想を変えられなくなったのもあるでしょうが、過度にチヤホヤされたことで体罰から離れられなくなった側面もあるのではないかと思います。どんな年代でも、過剰な成功体験は人の成長を止めるとも言います。

逃げ場を塞ぐことに拘り抜いた戸塚氏ですが、自分が懲役刑を受けて再教育されることには我慢ならなかったようです。自分を収監した静岡刑務所について「法の概念から外れている」「憲法に反した人権侵害」「自殺に追い込まれた受刑者もいる」と様々な誹謗中傷を並べ立てていました。これは防衛機制の一つである「投影」という見方も出来ます。

他にも、世界人権宣言に喧嘩を売ったり褒める教育に反対したりと、前時代的な主張を今でも続けています。収監前は「出所したら私立小学校を作りたい」とまで言っていました。刑務所内で自分の立場を痛感したのか、出所後はヨットスクールの継続に留め、メディア出演も控え目になっています。

現代の教育に不満を抱いているのは確かですが、叩かれたり逮捕されたりするのを恐れているのか目立った主張や行動はしていません。いっとき、社会問題化した「引き出し屋」については、羨望の眼差しを向けていたのではないでしょうか。著書の「私が直す!」というタイトルからも極端な思想の一端が垣間見えます。

問題児をやっつけるヒーロー?

とはいえ現代に至っても、戸塚ヨットスクールの存在を肯定する声があります。それも昔ながらの体罰支持層ではなく、ネット上に点在するアンチ障害者層から「問題児をやっつけるヒーロー」として肯定されています。

「ズンズン運動」しかり「引き出し屋」しかり「元事務次官の息子殺し」しかり、少しでも障害者のオーラを感知しては間引きの重要性を必死に訴えています。数としてはさほど多くはありませんし、「殺処分でええやん」の件のように憎いというよりは何も考えずに書き込んでいることが多いです。

しかし、障害者アンチは確実に存在します。「昔は障害児が生まれたら産婆がキュッと…」などというデマを本気で信じている者もいれば、職場内カサンドラや知的障害者からの被害報告をそれ見たことかと取り上げる者もおりました。植松聖に湧いて感謝や崇拝の弁を垂れ流した者は確かにいました。

彼らは戸塚ヨットスクールに対してこう言います。「人を何人も死なせておいて懲役6年の『温情判決』を受けた。これは生産性のない奴を間引いてくれる『必要悪』について日本の司法が認めたことを意味する」

いちど自分が過去にどう思ったか振り返ってみてください。引き出し屋や元事務次官が取り上げられた時、どう感じていましたか。「産婆がキュッと」などと本気で信じていませんか。知的障害者が電車で走り回る漫画を真実と捉えていませんか。

フォロワーその1:不動塾

戸塚氏の魂を受け継ぐフォロワーも存在し、様々な問題を起こしてきました。その中でも戸塚ヨットスクールのDNAを色濃く受け継いだのが「不動塾」です。不動塾の塾長は「自分は戸塚氏とは違う」と言い張っていたようですが、犯情の悪さでは戸塚氏を上回っていたかもしれません。

不動塾によってリンチ殺害された被害少年は、母親を酷く恨んでいました。ネグレクト気味のくせに父親を追い出し、残った弟も気遣わず、子どもに「どうぞ荒れてください」と言っているような家庭でした。被害少年は不登校と家庭内暴力がありましたが、スリッパを投げて暴言を吐くくらいだったそうです。それでも、中学にして180cm85kgという屈強な体格を持つ人間から恫喝されるのは恐ろしいもので、母親は逃れる方法を模索します。

そこで出てきたのが「不動塾」でした。被害少年は不動塾で過ごした5か月間を「殴り合いは日常茶飯事、刑務所にも劣る空間」と振り返っていたそうです。中でも最大の特徴は、元入所者を拉致するための「拿捕隊(だほたい)」でした。元暴走族上がりで構成される拿捕隊は、塾長の指示で標的を拉致暴行するとされ、現代の「引き出し屋」の始祖ともいえる存在です。模範囚を装って速やかに出所した被害少年ですが、「また不登校があれば拿捕隊を向かわせる」と誓約書を書かされていました。

中学に復帰した被害少年ですが、教師の体罰によって片耳が難聴になったのをきっかけにまた不登校となります。今度は横浜のフリースクールへ通うこととなり、そこではまともな大人たちに囲まれ、被害少年は徐々に大人不信から解放されていきました。横浜の校長は「被害少年は、大柄な体格に反して繊細な性質を持つ」としながらも、最終的に「生活リズムも安定し、アメリカ留学という目標も出来て行動を始めている」として回復の傾向を示唆しています。被害少年はアメリカ留学という夢を掲げ、英会話教室に通ったりパスポートを申請したりと、行動を重ねていました。

ところが母親は被害少年の回復を認めないばかりか、不動塾の塾長を崇拝し仏壇などを買わされるまでに落ちぶれていました。やがて塾長へ連れ戻しを依頼し、何度か拿捕隊が差し向けられます。将来の跡取りとして被害少年を可愛がっていた祖父が拿捕隊を追い返したり、被害少年がフリースクールの事務室で寝泊まりしたりして凌ぎましたが、すぐに限界が訪れます。

1987年8月9日、一人暮らしを始めていた被害少年の部屋へ、エアガンなどで武装した拿捕隊が押し入って少年を拉致します。被害少年は不動塾の敷地内で執拗なリンチに遭い、帰らぬ人となりました。事ここに至ってもなお、母親は「塾長様には感謝している。塾長様は悪くない」と塾長を庇い続けていたようです。

1年以上前に脱出した人間を執拗に狙ったり、家族へ霊感商法や洗脳をかけたりと、塾長が持つ金や暴力や権威への欲望は並々ならぬものがありました。その上で僧侶を名乗っていたという情報もあるのですから驚きです。

フォロワーその2:風の子学園

広島県三原市の「風の子学園」もまた、戸塚ヨットスクールの遺伝子を色濃く受け継いだフォロワーです。風の子学園は1991年に、所有するコンテナへ入所者2人を44時間も閉じ込めて死なせる監禁致死事件を起こしました。死因は熱中症でした。事件の起きたコンテナは30年以上経ってからも撤去されておらず、施設そのものも放置されているようです。

園長は風の子学園を開設する前にも別の施設を運営しており、そこでも体罰問題を起こしていました。カッターという小型帆船での訓練もしており、戸塚ヨットスクールにかなり影響されていたことが窺えます。

刑期を終えて出所した園長は、性犯罪を起こして再び逮捕と実刑判決を受けたそうです。後に性犯罪者かつ懲役太郎(懲役を複数回受ける人物)となる人間が、子どもたちの範となるべき更生施設の長をやっていたと考えると、なかなか噴飯ものな話ですね。

遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

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