「こだわりが強い」を決めるのは誰か
暮らしPhoto by Natasha Jenny on Unsplash
「こだわりが強い」とは、ASDの特徴として頻繁に挙げられるものの一つです。しかし、具体的にどういう感じなのかキッチリ言える人は少ないのではないでしょうか。なんなら当事者ですら自分が何に強いこだわりを持っているのか分からないことすらあります。自分がそうです。
では、何をもって「こだわりが強い」と見做されるのでしょうか。それは「傍から見て不必要なことに拘泥している」ことで、判断するのは周囲の人間です。例えば、音や楽曲の仕事をしている訳でもないのに音響に拘るとか、電車に乗る際決まった車両の決まった席に拘るとか、そういったものです。周囲にとって理解不能であったり、自分勝手であったりと判断されれば「こだわりが強い」となります。
「こだわりが強い」「こだわりの強い子」というのは、ある種侮蔑的なニュアンスを含んでいます。本人が言えば自虐になりますし、他人が言えば嫌味となります。それはひとえに、周囲の定型にとって「許されないこだわり」であるかどうかが大きな基準となるでしょう。逆に言えば、「許されるこだわり」であればどれだけ拘泥しても「こだわりが強い」とは見做されません。
例えば、「食事中にクチャ音を立てない」というこだわりを持った人が居たとします。口に物を含んでいる間に話しかけても絶対に応えませんし、同じ部屋に「クチャラー」が居ようものなら極度の不安定とパニックを表出します。しかし、その人は「こだわりが強い」と言えるでしょうか。きっと「ちょっと食事のマナーに厳しい人」「クチャラーの方が悪い」に留まると思います。
例えば、「挨拶」に強いこだわりを持つ人が居たとします。「おはようございます」「ありがとうございます」「すみません」を欠かしませんが、挨拶をしない人や返さない人、返しても声の小さい人にはパニックを起こします。それでも、パニックの原因を説明させれば「それは挨拶しない人が悪いね」となるでしょう。こだわりの強さが「挨拶」に向いているASD持ちは恵まれている方だと思います。
「こだわりが強い」というのは、言い換えれば「固い信念がある」「一本筋が通っている」という意味でもあります。「許されるこだわり」であれば、筋や信念として認められ、周囲から気味悪がられることも少ないでしょう。「ちょっと厳しい人」の認識で止まるぶん、診断という発想には至らないかもしれませんが、それもまた包摂されている表れとも解釈できます。寧ろ、コミュニケーション面では定型発達者の方が色々な意味で「こだわりが強い」と言えませんか。
ただ、「許されるこだわり」であっても相手に押し付けるとなれば別で、圧力や攻撃として受け取られても仕方のない事です。「正論なら分かってもらえるだろう」と思い込むあまり、耳の痛くなる話を無配慮に仕掛けて相手の気分を害するのは、ASDにとってよくある失敗の一つです。
参考サイト
こだわりが強い【背景の発達障害や精神疾患、対策など】
https://kokoro-kichijoji.com
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