もはや「泣きました」では済まない、「複合マイノリティ」の現実
暮らしPhoto by Javier Esteban on Unsplash
「複合マイノリティ」とは、複数のマイノリティ属性を内包している人あるいは状態を指します。例えば、「難病持ちの女性」「在日二世の発達障害者」「知的障害者でレズビアンの女性」といった具合です。該当者数はぐっと減りそうですが、あり得なくは無いですね。
「ポリコレカードバトルで有利だろ。何でもやり放題じゃん」などと呑気なことは当てはまりません。カミングアウトするか悩むものが増えるだけで、人生におけるカードの切り方というのはマジョリティの何倍も難しくなります。自分の持つ全てのマイノリティをカミングアウトすると「コイツは何か利権でも得たいのか…?」と別の意味で警戒されかねない気がしませんか。人生はメンコでどうにかなるほど甘くはありません。
カミングアウトにおける判断の難しさは単一マイノリティにもあります。それよりも、複合マイノリティならではの困難は、マイノリティ同士で連帯する筈の当事者コミュニティ(自助グループなど)が救いとして機能しなくなることです。
当事者コミュニティは安心して話せる環境を作るために、いわば「そのマイノリティである人々が遠慮なく話せる場」を作っています。具体的には、他人の話を否定したり妨害したりしないようルールを決めるなどですね。自由な発言の場を保障する気配りが、複合マイノリティにとってはまるで背後から銃撃されたような経験に繋がることがあるのです。
例えば、精神障害のコミュニティで「身体障害なら、何もしなくても企業側から求められるし就活楽だよな」と発言されるなどです。例えば、指定難病のコミュニティで「ハッタツとか絶対無理~、だってキショいじゃん。出生前で分かったら絶対おろすし」と宣誓するなどです。複数のマイノリティ属性を持つがゆえに、結局無知や偏見で好き勝手言われるリスクを“どこでも”背負わされる訳です。安心できませんね。
複合マイノリティを傷つけないために何が出来るかは、検索窓が教えてくれます。それは、LGBTQ+に代表されるセクシャルマイノリティに配慮出来ていれば良いということです。複合マイノリティの生きづらさとして語られる体験談は、概して「セクシャルマイノリティと他のマイノリティ属性」を併せ持つ人の話が多く、それを前提として組まれている傾向にあるからです。
というのは、片手落ちに過ぎませんよね。「複合マイノリティだからといってセクシャルマイノリティとは限らない」「セクシャルマイノリティでなくとも複合マイノリティというのはあり得る」という観点も捨てる訳にはいきません。複合マイノリティへ出来る配慮というのは結局のところ、露悪しか引き出しのない残念な大人から卒業することに尽きるのだと思います。