ほんの少し先を 『心の一歩 』vol.7
『心の一歩 』 vol.7 <毎月30日連載>
今は今しかない。「今」出来る事を「後悔」しないように精一杯生きる。多くの人達が語っているし、実に当たり前のことだ。しかし、私自身、心底それで生きていくのは難しい。
脊髄小脳変性症。この病気が確実に緩やかに進行している。が故に、文字には起こせないような恐怖や不安はある。今は今しかないと分かっていても、過去の自分、今、未来の自分を思うと心が打ち震える。先月まで出来ていたことが、今はできない。来月はもっと出来なくなるであろう。
誰かにすがりたい。神様にしがみつきたい。分かっている。この恐怖から、この病気から、誰も何も助けてはくれない。この病気が突然、治癒することは無いのだから。自分の運命を恨みかける。
今、考えてはダメだ。あとで存分に考えればいい。目の前だけを見つめて一歩踏み出す。根拠は無いけれども、未来の自分を信じてみよう。結果がどうであれ、とにかく一歩踏み出せば後悔はしないだろうと。
車椅子を漕ぎまくった1か月だった。数年、愛用してきた杖とはサヨウナラをした。全身が震えてしまうのでこれ以上、杖の生活は危険極まりなく、決断したのだ。
車椅子に乗り始め、最初は腕が辛く、すぐに筋肉疲労で使い物にならなくなった。ただでさえ、思い通りに動かないのだからこれは大変だった。また、外出時に使い出してみて、他人や社会からの思いやりを感じることは多々あったが、それ以上に不満もつのっていった。
感謝することも本当に多いけれど、愛を欠く事柄や心無い差別に幾度となく接していると、心が折れることの方が大きくなってしまう。でも、もう少しだけ考えて頂ければ、格段に良くなる施設や設計があるし、少しだけお互いに気持ちを口に出し合えば、より良くなる環境があることに気が付いた。落胆している場合じゃないな、そういったことを少しでもいいから是正していきたい。そうなるように行動していきたいと、いつの間にか思うようになった。
車椅子生活を選択することは、私にとっては恐怖そのものが形になるような感じであった。進行する身体の震えや眼振。杖を離れて車椅子に乗るということは、深刻化する病気の跡を追っているようで、自分自身には受け入れがたいものだったのだ。しかし、乗り出してみると前に進むことに必死で必死で、何だか前よりも筋肉がついてきたような気もするし、障害者として不服に思うことから産まれた社会への提案というか、そういう気持ちも芽生えてきた。
不慣れな車椅子生活に入ったけれど、1か月も経つと何だか慣れてきて、順応できた自分自身に驚くこともある。いずれは電動車椅子になるであろう。それがいつかは分からず、また不安と恐怖の思いを繰り返すかも知れない。けれど、その時、新しく気が付くこともあるだろう。自分に課せられた運命でしか、気が付けないこともあるのかも知れない。それをまたどこかで発信していければ、何もしないよりは少しでも何かの役に立つことがあると思う。自分にしか出来ないこともあるだろう。
考えていても何も始まらない現実があった。今は一歩一歩、今度は目の前のほんの少し先をみて、踏みだしてみるしかないか。