合理的配慮って誰が誰にするもの?(『発達障がい~神からの贈り物~』第12回)
『発達障がい ~神からの贈り物~』 第12回 <毎月10日連載>
私事ですが、先月よりこれまでお世話になっていたA型事業所の職員となりました。当事業所では初めてのことで、少なからずの戸惑いがありました。
初めの1週間は、覚えることが山のようにあり、また、立場が変わったことでの立ち位置に戸惑いましたが、ようやく自分らしい働き方が見えてきたように思います。良くも悪くも私が初めての事例なので自分の思うようにやってみて、そこから考えよう、そう思えると心が楽になり、結果的には利用者の時とあまり変わらない日常が訪れました。
さて、そんな中で私が困ったことを話すと、細かくは幾つかあるのですが主だったものとしては事務手続きの煩雑さと支援者側としての対応をどうすれば良いのかの二点があげられると思います。
もちろん福祉事業所ですから、私の苦手なことには周りの職員も最大限にサポートしてくれています。自分自身でハードルをついつい上げぎみになったことで心を窮屈にさせましたが、甘えられるところは甘え、得意なところで貢献すれば良い、そう思えると先が見えだしました。
一方で職員となると甘えて当然という気持ちで接してくるものには手を焼きました。実際はそういう人はごく一部なのですが、同じ発達障害者から当然のように合理的な配慮を求まられました。
ちょっと待ってください。合理的配慮って社会が障害者に行うものですが、私だって同じ障害者なのに利用者は当然のように求めて職員である私はそれに応え続けなければいけないのでしょうか?
皆さんはどのように考えますか?
過去のこのコラムで支援しないことが最も大切な支援だと私自身が述べましたが、やはり支援とは余裕のあるものが無いものに対してするものであって、健常者が障害者にする一方的なものではないのではないでしょうか?
私自身は私に配慮してくれる周りに感謝しています。配慮してくれなくてもそれを権利として相手に突き刺すつもりはありません。またできる配慮は一弱者としてできることは惜しまずにするつもりです。
そもそも、一方的な配慮って合理的でしょうか?双方向に、多面的に配慮し会うことが合理的配慮ではないでしょうか?私にはそんな風に感じられます。
この1ヶ月はこの事について考え直す良い機会を持てました。感謝すると共にこれからも励む所存です。
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注意欠陥多動性障害(ADHD)