セコラム!〜伴走者の立場から障害福祉を考えてみる〜

「給料が15分の1になったけれども、彼女はそれ以上の生きづらさを抱えたかもしれない」(セコラム!第18回)

『セコラム!〜伴走者の立場から障害福祉を考えてみる〜』 vol.18 <毎月25日連載>

私たちの暮らしは、たくさんの選択肢によって構成されています。
映画を見ること。友達とご飯を食べること。パソコン作業をすること。仕事をすること。

たくさんの選択肢のうち、「わたしがいま何をしたいのか」を選択していくことが、当たり前の生活です。
でも、障害があるから当たり前の生活を送れない人もいらっしゃいます。当たり前の生活を送るために、相当な努力や時間、お金を要する人もいらっしゃいます。自分の意思にそぐわない生活を強いられる人もいらっしゃいます。やりたいことを諦めなければいけない人もいらっしゃいます。

ぼくは障害があっても当たり前な生活を送るようなサポートをするおしごとを8年間していました。働いていたときに特に意識していたのは、その人らしい暮らしをどのように演出していくのか。「その人はいま何をしたいのか」「その人はどのような生活を送っていきたいのか」を常に振り返り、実際のサポートに落とし込んでいました。

ぼくはたくさんの障害の方と向き合ってきました。そのなかで印象的な方がいらっしゃいます。彼女は発達障害を持っています。コミュニケーションが少し苦手で、言葉を直接的に捉えてしまったり、相手の感情を汲み取るのが出来なかったり、人との距離のはかり方が苦手です。彼女はもともと一般企業で働いていました。毎月の収入は約15万円。ぼくと一緒に外出し、遊んだりご飯を食べたり飲みに行ったりのときは、給料から支払っていました。家族が誕生日のとき、何を送りたいのかを自分で選び、自分のお金で購入していました。

ある日、彼女は会社の先輩と意思疎通がうまくいかずパニックに陥り、職場で暴れてしまいました。その後、休職。最終的には、退職にいたりました。一般企業を退職した後は、障害の方が働く作業所に入りました。1日数時間のおしごと。いままでの半分くらい。でも、給料はとても減りました。毎月1万円。一般企業で働いていたときの15分の1。ぼくと一緒に外出するときは、家族からお小遣いをもらい、その範囲内で外出を楽しんでいました。明らかに以前より楽しくなさそうな表情を浮かべていましたし、行動に制限が掛かっていました。家族が誕生日のとき、何も送ることはできなくなりました。

そのような日々が幾度となく重なっていったある日、彼女が唐突に嘆きを吐露しました。「以前のように働き、給料をいただきたい。その給料でお父さんにウナギをおごってやりたい」と。僕はとても胸を打たれました。と同時に何とも言えない悔しさを覚えました。

障害があるだけで、生活を制限されてしまう。
障害があるだけで、給料を大幅に得られなくなってしまう。
障害があるだけで、社会から疎外されているように感じてしまう。

彼女から「仕事」をなくしただけで、彼女の生活は一気に彼女らしくなくなりました。当たり前の生活が成り立たなくなりました。だから、障害がある人に「仕事」をつくっていけたら。障害がある人に「働く喜び」を感じていただけたら。障害がある人に「役割」を寄与できたら。障害がある人が「当たり前の生活」を過ごすようになっていけたら。そして、彼女のように悔しい思いをする人を1人でも減らしていきたい。

世古口 敦嗣(せこぐち あつし)

世古口 敦嗣(せこぐち あつし)

就職活動に失敗し、何となく障害福祉の世界へ。障害者が暮らしやすいまちをつくるNPO法人サポネや医療福祉エンターテインメントのNPO法人Ubdobeなどを経て、農業を中心とした障害のある人が働く拠点「三休 – Thank You -」を今年4月にオープン。それ以外にNPO法人月と風と理事やKAIGOLEADERS OSAKAコアメン、ふくしあそび探求舎代表を務める。

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