障害を個性として受け入れることで生まれる問題
発達障害私は発達障害を抱えていますが、自分の障害に気付いたのは19歳の頃でした。ミスが多いのも、要領が悪いのも、片付けが出来ないのも、忘れ物や無くし物が多いのも、「おっちょこちょい」とか「そそっかしい」とか、そういう自分の個性だと思って、気に留めませんでした。家族も、学校の先生も、バイト先の人達も、私と同じようにタダの個性だと思っていたと思います。障害の症状を個性として受け入れて貰えるのは大変有り難いのですが、一方で問題も生まれます。
私は就労支援施設に通っており、企業実習にも前向きに参加しています。朝に薬を飲んで集中力を高めてから仕事に取り掛かっています。しかし、薬を飲むと一点のみに集中してしまい、マルチタスクが出来なくなります。ただ、やることは沢山あるので甘えていられず、一生懸命マルチタスクをこなすしかありません。最初はミスが目立っていたものの、作業に慣れるにつれてミスは次第に減っていき、「マルチタスクが苦手って聞いたけど、ちゃんと出来てるじゃん。健常者と何が違うのか分からない。」と、恐れ多くも社員さんが褒めてくれました。
私は障害者として「健常者との違い」を埋めるために、毎日薬を飲み、一生懸命に頭をフル回転させ、ミスをしないように常に気を引き締め、健常者の何倍もの力を入れ、マルチタスクをなんとか成功させていました。その結果、「健常者と何が違うのか分からない」と言ってもらえるようになりました。しかし、そこに「障害者と健常者との違い」は確かにあるのです。健常者との違いが無ければ、私は薬を飲まなくていいし、ミスに怯えなくていいし、一生懸命頭を働かせる必要もありません。それに、こんなことを考えて悩むことだってなかったはずです。
健常者と同じように扱うことで、障害者側が「健常者と自分の違い」をひしひしと感じてしまい、健常者と障害者の溝がかえって深まってしまうケースもあります。それならば、難しいことを考えるのはやめて、お互いの「違い」を潔く受け入れた方がいいのではないでしょうか。障害者は健常者と肩を並べられるくらいに頑張り、健常者は障害者を大目に見てあげる。それだけでいいのではないでしょうか。たったそれだけのことが互いの心を軽くし、フラットな関係性を生むと思います。
色々と難しいことを書きましたが、自分の日々の努力が健常者へ伝わっていない寂しさが、今回の記事を書くキッカケを生みました。障害者を受け入れている企業は、なるべく障害者を褒めて伸ばしてあげて欲しいです。私のように成功体験が少ない発達障害者は、褒められて伸びるタイプが多いと思いますので、試してみていただきたいです。
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