5回目のデプレッション④〜4度目のうつは、アップ、再度ダウン
うつ病 発達障害◀︎前回のページ:5回目のデプレッション③〜抗うつ剤は禁断の果実?
朝焼けのプールサイドで踊り狂う大勢の人々。ミキサーのフェーダーを下げて徐々に上げる。静寂の奥から徐々に膨らんでいく音量は、さらに大きくなったように聞こえ、オーディエンスの興奮を更に沸き立てる。盛り上がったフロアーほど維持するのが難しく、怖い。初めての経験で正直ガタガタしている。同時に恍惚感に似たたまらない初めての感覚がある。こんなに気持ちいいことはなかなかない。なんとか自分の役目を終えて、次のDJに入れ替わる。熱が佳境に、突き抜けていくピーク。翌月曜日、朝起きても体が動かず、会社行くことができませんでした。
アップ、安堵ダウン
3度目のうつから回復してからは、断薬が出来ないままでいること以外はすべてのことについて充実した日々を送っていました。復職後、ミスで問題を起こしたり、夜遅くまで残業が続くこともあったりした中でも、いくつかの部署を経験し、一部上場企業の担当を任せられるまでになりました。趣味のサッカーやDJ(東京に出る少し前に甲府にいる知人に誘われたのがきっかけで始めました)も少しずつ仲間が増えていき、特にDJにおいては仲間との活動が徐々に評判が広まったこともあり、様々な出演機会が増えていきました。平日は仕事、休日は昼間サッカー、金土の夜はDJといった感じで、東京での生活はまさに盛り上がったフロアーのように上昇していました。
新木場にある有名クラブのプールサイドフロアーで出演予定があった金曜日の夜、私はワクワクそわそわしながら出演時間に間に合うよう、仕事を終えようと必死でした。身に覚えのない原因不明のミス(今思うとそれ以前に自分で行った事務処理ミスから発生したものだったような気もします)から発覚した問題について、社内的な処理と取引き先への説明が上手くまとまらず、悩んだ挙句、上司に相談しました。それでも具体的な内容がまとめられず、仕事後のイベントが気になっていた私は、帰る直前に別の業務に追われてしまい、さらに上司に報告する事を失念してしまったまま帰ろうとしてしまい、呼び止められました。
「おい!報告はどうした?ちょっと来い」
「そんなんだからこういうことが起きるんじゃないのか?」
「この損害を自分で払えるのか?」
「責任感に欠けているんじゃないのか?」
心をバットで打たれたような感覚でした。
なぜ分かっているのに瞬間的に忘れてこんな言動をしてしまったんだろうと悔やみました。客観的に考えて自分が良くない態度をとっているのは理解しています。おそらく、傍からは、ただ立ち回りの悪い人が怒られている残念な人に見えていたかもしれません。しかしながら、同時になぜこんなに理不尽に叱咤されてしまっているのかわからないような感覚もありました。普段の通常業務の時はあまり表面化しませんが、今考えると、こういう切羽詰った状況ではADHDの特性が現れやすかったような気がします。ただでさえストレスがかかる瞬間なのに、ここにきてADHDの特性が状況を更に悪化させた瞬間だったかもしれません。
「週末よく考えてまた報告するように」と言われましたが、バットを打たれた状況でイベントに出演し、翌朝自宅に戻った頃には心身共にボロボロだったのかもしれません。
明確な結果
今回のうつも、今まで患ったものと同じく一過性のものにすぎないと高をくくり、以前からの内科に通いながら自宅で療養していました。しかし、ようやく復職したと思うとまたしばらくして休むといった状況が何度か続きました。会社の人事担当者も私のことを心配し、内科より専門の先生に診てもらうよう勧められました。
転院先を探すにあたって、”話を聞いて、当たり障りのない返事をして、必要な書類を書いて薬を処方するというような先生”ではなく、明確な診断や診療方針をはっきり言ってもらえる先生を探していました。
そんな中、たまたま観ていたテレビ番組の中で、血液検査でうつ病の診断を行う臨床試験を実施している先生の事が取り上げられていました。私は早速その先生の病院に問い合わせ、血液検査を受けました。併せて記述式の心理テストのようなものと、問診を詳しく受けました。
2週間後の結果で、うつ病の可能性が高いことが分かり、うつ病と診断されました。「一旦は今のうつ病を治療する一方で、今まで繰り返してきたことの原因は時間をかけて探っていきましょう」と、かなり客観的な診断と明確に説明をしてもらえたことで、大分安心できたことを覚えています。そしてその先生は割と明確にyes/noをはっきり言われる方だったのでそこも自分には合っていたかと思います。
趣味のDJが派手に遊んでいるように見える一方で仕事のトラブルがあった後に体調を崩してしまったのと、それまでは自分の自覚症状を問診で答えるのが中心だったため「結局のところ本当は怠け心なんじゃないか」という思いがずっとどこかについてきていました。
復職で払拭
休職期間中、症状が寛解と言われる安定した状態になってから、主治医には1日2時間の読書と2時間もしくは10万歩相当の運動を目指すよう指示され、まじめにこなしました。一旦しっかりと休職期間を取った翌春、ようやく復職する段階になりました。
今回の休職にあたっては、休職期間中も定期的に会社の人事と連絡や面談を行うようにしていただいていました。復職に際して何度か失敗していたことも踏まえ、復職の専門の先生をご紹介いただき、その後指導のもと、復職を目指しました。それでも、時短勤務から段階的に就業時間を増やしながら復職を目指すという手法は当時の会社で前例が無いという事で実現する事に若干苦労しました。
今思えば、この時点で様々な支援機関を活用する余地はあったかと思いますが、会社と医療機関と自分、三社の間で自分の事を一人でうつ病を抱えながら交渉、手続きを行いました。もちろん会社と人事、医療機関など、周囲の深いご理解とご協力のもとで実現したことではありますが、我ながらよくそれだけのことをこなせたと思います。
うつ病になったらよく「頑張るな」といわれますが、役所での書類手続きが普段より増えるなど様々な制度や慣習が「頑張らざるを得ない」状況が多々ありますが、一緒に会社や役所、医療機関などの間に入って頂ける方がいたらどれだけ心強かった事かと思います。
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参考文献
精神障害の診断と統計マニュアル – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki
精神科医はどうやって診断しているのか(医師)|COMHBO地域精神保健福祉機構
https://www.comhbo.net
うつ病 注意欠陥多動性障害(ADHD)