5回目のデプレッション⑤〜うつとアイデンティティクライシスと夢
発達障害 うつ病◀︎前回のページ:5回目のデプレッション④〜4度目のうつは、アップ、再度ダウン
彼女の悦美と私は準備を終え、悦美の従妹伸子、伸子と良い感じの友人塩谷、塩谷の友人真壁を駅に迎えに行きました。人気のお笑い番組を見ながらの鍋パーティー。遅れてえりこと浦見がうちに着きました。乾杯!メリクリ!
翌朝、送りに行った駅の改札からホームへ向かう中、悦美と浦見が話している姿が見えました。
悦美に別れを告げられたのは。鍋パーティーの翌週、実家に帰ってからのことでした。
※登場する人物は全て仮名です
アイデンティティクライシス
キャンプ場のバンガローの中、浦見と手をつなぎ微笑む悦美の顔が囲炉裏の炭火で赤く照らされる。写真のように焼き付けられたその光景は、何かある度にゆっくり少しずつ私の心を壊していきます。4度目のうつから復職して間もないゴールデンウィークでの出来事でした。
悦美はその後浦見と付き合っていることをえりこに後日告げました。実際どうだったかは分からないですが、悦美を身内に盗られ、同時に友人として長年付き合ってきた塩谷と伸子も既に付き合っており、塩谷を含む仲間を同時に失った気分でした。
悦美とその家族は特定の政治政党と繋がりが強いことで有名な宗教の信者でした。私自身は特に実家の宗派に強い信仰や思い入れは無いし、相手の信仰についてどうこういうつもりはありませんでしたが、たまたま、一般的だと思っていた実家の仏教宗派とは仲が良くないようで、悦子の実家にお邪魔した際に、「あなたの実家の仏壇に書いてあることは間違っている」と指摘されました。
ショックでした。
先祖代々祀っていたものを否定されたような気がしてあまり良い気分にはなれませんでした。自分の祖父母やご先祖様達が信じていたものを否定されたように感じたからか、自分を構成する大きな部分を否定された気分だったのかもしれないです。
以前から何度もうつを患い、復職して間もないこともあって、当時の自己肯定感はかなり下がっていたかと思います。悲観的な発想もしやすい状況でしたので、次第に悦子に対して私の周りの人間をごっそり奪われたように感じるようになり、逆恨みの念が増幅していきました。復職と仕事に集中することで忘れるように努めていましたが、SNSで悦子や浦見の写真などをうっかり見てしまった時など、囲炉裏の光景と合わせて心の中の怨念の様なものが増幅しそれを抑え込む我慢と、悔しさの混ざったストレスで睡眠時の歯ぎしりが増え、激しい偏頭痛が感じられるようになってきました。
復職後暫くは新しい職場と上司にも恵まれ、仕事も順調に進み、また、自宅付近に知り合いがバーをオープンしたことをきっかけに多くの仲間が新たに増え、そこで定期的にDJする機会ももらい、しばらくは充実した楽しい生活を送れました。
その一方で低下しやすい自己肯定感、事あるごとにフラッシュバックする光景と怨念の様な感情、治らない偏頭痛、を抱えながらの日々でした。
そんな中、DJイベントで自分の中でのちょっとした失敗をきっかけに体調が崩れだし、仕事に行けなくなることも増え、5回目のうつ病による休職に突入しました。「アイデンティティクライシス」と主治医に言われました。
男として自信を失くし、趣味も人間関係もなかなかうまくいかず、体調も良くならず仕事もままならない。そのため経済的に安定しない。自分が自ら無価値な存在として卑下して行く日々で、会社や上司、身近な友人等、周囲にあたり散らすことも増えました。最悪な悪循環に陥ってゆきました。人は徐々に離れていき(私がそう思い込んでいただけかもしれないですが)、家に引きこもりながらも金遣いが荒くなり借金も増え、東京での生活が破たんしていきました。
発達障害
発達障害の概念を知ったのは、4度目のうつでお世話になった主治医に指摘されたことがきっかけでした。先生に紹介を受け、参加した治験のデータを確認した際のことでした。複数回うつを繰り返している背景に発達障害の傾向があるのではないかということでした。ただあくまで傾向なので普段はそこまで気にすることではないとも言われました。
リワーク、就労移行支援、障害者雇用、夢
5回目のうつで休職期間が長くなり、なかなか回復しない事で、会社から紹介いただいた病院へセカンドオピニオンを受けるように指示され、そこで「リワーク(復職支援、デイケア)」を実施している医療機関に通うことを勧められました。東京での生活も破たんし、心身ともに疲弊していた私は、兵庫県の実家に戻り、両親の世話になりながら大阪にあるリワークを実施している医療機関を見つけ通うことを決めました。
親不孝者である自分を責め、とても惨めでした。
リワーク施設を選ぶにあたって発達障害の可能性も考慮していただける医療機関を見つけ出し通いました。ここで改めて発達障害の検査を受けたところ、ADHDの傾向があることが判明しました。この時、初めて障害者手帳を手にする決断をしました。今思うと私自身が障害者に対して偏見を持っていたのかもしれません。もっと早い段階で手にしていればより適切な支援を受ける機会を持てていたかもしれません。
その後思っていたよりも回復に時間がかかり、休職期間満了に伴い会社は退職を余儀なくすることになりました。
当初職場復帰が目的で通っていたリワークでしたが、退職に至ってしまったため、自分の傾向をより理解したうえで就職活動をするため、就労移行支援事業所に現在は通っています。
ようやく最近は自己肯定感も戻りつつあり、偏頭痛も少しずつ減ってきています。←現在はこの状況にあります。
まとめ
5回のうつの経験を、このシリーズを通して振り返り、記事にさせていただきました。全体を通していくつかの気づきがありましたので、まとめとさせていただきます。
①発達障害を背景にうつ病を抱える事がいかに自立する上で大変だったかということ
②うつがきっかけでできた趣味や仲間、出会いがあり、とても助けられたこと。
③両親、家族をはじめ、会社の上司や先輩、同僚、友人、主治医、就労移行支援をはじめとした各福祉事業で私にご支援いただいている皆さま等、多くの周囲の人間に恵まれていたこと。どんな状況でも付き合いを続けてくれる人たちのありがたさ。困ったときほど自分にとって大切な人がどういう人か分かること。
④障害者雇用の実態には給与水準や雇用条件など多くの課題があると思いますが、まだまだ改善の余地があり伸びしろもあるかと思いますし、私自身も無理の無い範囲で果敢に挑戦していければと思います。
最後までご拝読いただきましてありがとうございます。
参考文献
アイデンティティクライシスを理解しよう-アイデンティティ発展編
https://www.direct-commu.com
就労移行支援 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org
障害者のお給料って少ないの?厚生労働省が発表した年収調査結果
https://ja.wikipedia.org
うつ病 注意欠陥多動性障害(ADHD) 発達障害