努力しなきゃ認めてもらえない!努力できない自分に価値はない!~私を無意識に縛っていた呪い
暮らし その他の障害・病気 発達障害「私は、他の人と違って、努力しなきゃ存在を認めてもらえないの!努力できない自分に存在価値はない!」
この言葉は、私が大学生のとてもしんどい時期に、大学の保健室の職員さんに言った言葉です。しんどくて何も手が付かないのに、何かをしなければと、とても焦燥感に駆られていたのを覚えています。私は"呪い"をかけられていたのだと思います。その"呪い"について私の両親との関係から考えてみたいと思います。
私と母の関係
私と母の関係は、私が成長するにつれてだんだんと悪くなっていきました。現在は一人暮らしをしている為、直接顔を合わせる事は少ないですが、正直、顔を合わせるのも嫌です。
小学校に入学する前は、よく抱っこをせがんだりしていた記憶があります。しかし、小学校中学年頃から私と母の関係は少しずつ変わっていきます。私は小学校中学年から高学年までいじめを受けていました。母は私に自信をつけさせようとしたのだと思いますが、いじめの主犯格の子と同じ習い事に私を通わせました。しかし、私からすると、会いたくもない相手と学校外でも毎日会わなければならず、唯々苦痛の毎日でした。習い事でもいじっめ子に勝つことが出来ず、自信は失われるばかり、そして母の目的は「娘に自信を付ける」ではなく「いじめっ子に勝つ」ことへと変わっていきました。
中高時代にはさらに関係が悪くなります。中学ではいじめはなくなったものの、家庭では毎日、母に私ではどうしようもない事で罵られる毎日でした。高校に進学後、私は不登校になります。そして、通信制高校に転校を決めた時に、母から「あなたが勉強だけしていれば、お母さんは幸せだった。」「なんで、お母さんの思う通りに生きてくれないの。」と言われました。この時、私は、母にとって、育てるべきものではなく、自分の代わりに努力してくれる人形であり、世間映えするアクセサリーであるということを確信しました。
後に分かったことなのですが、母は私が小学校高学年の頃から、疾患名は分りませんが精神疾患を患い、精神障害者として生きていました。しかし、母は自身が精神障害者である事を認める事が出来ないようです。それがさらに私との関係を悪化させていったのかもしれません。
父との関係
母との関係は成長するにつれて悪くなっていきましたが、父との関係は成長するごとに良くなっていきました。
私は中学生まで父の記憶が曖昧です。中学生の頃まで、父は仕事が忙しく帰宅するのは毎日深夜で、父と接するのに苦手意識があったような記憶があります。しかし、中学1年生の時に転機が訪れます。父が毎日夕方に帰宅するようになったのです。最初の頃は何だか落ち着かなくそわそわした気持ちでしたが、段々と学校生活の話や休日にカフェで勉強を教えてもらったりするようになりました。通信制高校に転校する際も「自分がやりたいようにしなさい、それをサポートするのが親の役目だから。」と後押しをしてくれ、現在、就労移行支援事業所に通うことを決めた際も、同様にサポートしてくれています。
父と母の違い、そして母の呪い
私に対する母と父の違い、お分かりでしょうか?
母は私をアクセサリーや人形としか見ていません。私が母の思い通りに動けば母は満足しますが、そうでなければ、私を罵倒するのです。母にも精神障害者であることを認められないという事情があったかもしれませんが、それとこれはとは別問題です。
一方、父は私を一人の人間として扱っているのです。子どもは親とは違う人間です。これは当たり前の事ですが、母はこの当たり前の事が出来なかったのです。
そして、母の私に対する態度は、私にある呪いをかけました。このコラムの冒頭のセリフです。何かの成果を上げなければ、努力をしなければ、存在価値はない。この呪いは私を長年無意識のうちに苦しませてきたのです。
最後に
私からお願いがあります。目の前にいる子どもを意思を持った1人の人間としてみて下さい。勉強が出来る、スポーツが出来るからその子を認めるのではなく、ありのままのその子を認めてあげて下さい。その子が将来"呪い"で苦しまない様に。
その他の障害・病気 発達障害