行き場のない処罰感情が爆発すると

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Photo by Bruno Kelzer on Unsplash

「女子高生コンクリ殺人事件」の“準主犯格B”であった元少年が、3年前に51歳で亡くなっていたことが分かりました。事件について説明するのは色々な意味でキツイので割愛しますが、とにかく1989年に起こった非常に執拗かつ凶悪な少年犯罪で、複数人が逮捕されています。そのうち“準主犯格B”と呼ばれた男の訃報が今頃入ってきた訳です。(関係ないですが、訃報と“朗報”を本気で間違える事例があるそうですね)

被告となった少年たちは、いずれも有期刑の判決を受けており、当然ながら既に出所しています。かの「永山基準」の由来である永山則夫(犯行当時19歳)の死刑判決が争われていた頃(確定はコンクリ事件から1年後)で、今でも日本の死刑判決において最年少である犯行当時18歳の判例も数件(少年ライフル事件など)ありました。準主犯格Bこそ当時17歳だったものの、被告の中には18歳の少年もおり、極刑も期待(?)されていたでしょう。結果はいずれも有期刑で、準主犯格Bは1999年に出所しました。

ここで問題となるのが「満たされざる処罰感情」の行き先です。処罰感情は人間の欲求の中でも原始的な領域に近く、ほぼ本能と言っても差し支えないでしょう。これが満たされなければ平等世界仮説に反し、認知不協和へと繋がります。簡単に言えば、イライラが収まらない訳です。

発散する機会を逃した処罰感情は、大抵その感情ごと時間の流れで落ち着いていきます。ただ、何かの拍子で再燃する可能性自体は残っており、結局それが暴走することもあります。この事件の場合、行き場を失くした処罰感情は「スマイリーキクチ誹謗中傷事件」の形で暴走することとなりました。

“コンクリ”と“キクチ”を経た今は「ちゃんと極刑に処していれば、キクチさんが苦しむこともなかった!」という総括も聞かれます。果たして、準主犯格B含む被告らが残らず極刑に処されていれば済んだことだったのでしょうか。確かにそれで「スマイリーキクチさんがデマによる誹謗中傷を受けること」は起こらなかったでしょうが、「暴走した処罰感情が無実の誰かを苦しめること」自体はまた別の形で起こっていたのではないかと思います。無責任ながら被害者感情だけはいっちょ前の手合いに変化は無かったでしょうし。

行き場を失くした処罰感情は、何かの拍子にぶり返します。準主犯格Bの死を取り上げたYahoo!ニュースの記事は、もはや「孤独死」「便器に頭を挟んで死ぬ」しか見られていないような状態で、コメント欄は閉鎖されるほどの荒れ模様でした。

実は、国を挙げて出口支援を拡充する方向で再犯防止について取り組まれています。端的に言えば、より理知的たらんとしている訳ですね。更生への大役を密かに担う出口支援の業界ですが、その立ち位置が俗な処罰感情と対極にあることは言うまでもないことです。処罰感情をどのようにいなしていくかが出口支援における今後の大きな課題となるでしょう。

「凶悪な事件が起きるたびに『こんなやつ死刑にしろ』『刑務所から一生出すな』などと感情的な論調が飛び交う。非道な行為の前に、加害者に向ける理性の力は失せる。だが、感情論だけでは、問題は解決しない」(HBC北海道放送の記事より抜粋)

良い一節です。残念なことに、エモーショナルな手合いに限って感情論で動くなという忠告は聞き入れられないのが通例ではあるのですが。

参考サイト

遠い償い「女子高生コンクリート詰め殺人」加害者の“その後”から考える社会への問い
https://newsdig.tbs.co.jp

遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

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