パラリンピックまであと1年!カウントダウンセレモニーが開かれました!
スポーツ 身体障害去る8月25日の日曜日、東京2020パラリンピックの丁度1年前を記念したカウントダウンセレモニーが行われました。多くの著名人が祝辞を述べたりパフォーマンスを見せたりして、セレモニーは盛況のもと進みました。この何倍もの興奮が開会式では巻き起こるわけです。
同セレモニーでは聖火リレーの概要も発表され、パラリンピック開催の機運も徐々に高まりつつあります。毎年8月25日を「ジャパンパラリンピックデー」と定めるなど、パラリンピックの特別性を高める取り組みや宣言がセレモニー内では数々なされました。
明らかにパラリンピックで気合が入ってきたのは12年のロンドン大会からだといわれています。そうした歴史的遷移も交え、カウントダウンの始まったパラリンピックを語ってみましょう。
小池都知事「パラリンピックも成功してこそ」
セレモニーでは、「開会式の雰囲気をチラ見せ」として椎名林檎さんら4人のパフォーマンスが披露されました。1分半の演目が終了すると、人気番組「チコちゃんに叱られる!」のチコちゃんが茶々を入れてパフォーマンス参加の約束まで交わします。
小池百合子東京都知事は、「パラリンピックも成功してこその東京2020。誰もが活躍できるダイバーシティ東京に近づけていきたい。」と抱負を語りました。これはパラリンピックがオリンピックと並び立つ重要性を帯びているという重要な示唆に富んでいます。
後述する聖火リレーの発表もあり、オリンピックだけでなくパラリンピックに向けても盛り上がっていこうという気概が伝わってきます。これほどの熱量をもったプロモーションが為されたのは、12年のロンドン大会に一因がありそうです。
ロンドン大会から本気になった
パラリンピックへの認識が決定的に変わったのは2012年のロンドンパラリンピックからだと言われています。勿論それより前から徐々にパラリンピックの権威向上は図られていました。
パラリンピックの前身は、車椅子の選手によるアーチェリーを中心とした「ストーク・マンデビル大会」です。1964年に東京五輪の後で開かれた大会が「パラリンピック(パラ+オリンピックで、当時パラは麻痺を指していた)」と呼ばれ、後に(パラレル+オリンピックという意味で)正式名称となりました。オリンピックの後に開催されるスタイルは当時からあり、1988年のソウル大会で初めてオリンピックと同じ会場を使用しました。
ソウル大会の翌年に国際パラリンピック委員会(IPC)が設立され、2000年のシドニー大会では国際オリンピック委員会(IOC)との合同運営となりました。以後の開催や運営はこのスタイルで統一され、IPCとIOCは正式契約に至ります。
そして2012年、ロンドン大会ではアスリートたちの“カッコよさ”“熱さ”が全面的に押し出され、純粋に熱狂する観客が大いに増えました。ここからパラリンピックは大きく評価を変え、「もう1つのオリンピック」の地位を確立したのです。
聖火リレーの準備も進む
もう1つのオリンピックとなったからには、事前セレモニーも大規模なものとなります。今回のセレモニーではメダルのデザインや聖火リレーの概要も公表され、その点でも大きな注目を浴びました。
聖火リレーの公式アンバサダーとして石原さとみさんらが選ばれ、トーチやランナーユニフォームを実際に身に着けたうえでお披露目していました。来年のパラリンピックは俄かに現実味を帯びてきましたね。
1960年にローマ五輪の後行われたストーク・マンデビル大会(公式ではこれを第1回パラリンピックとしている)から数えると60周年記念大会にもなります。障害者スポーツの祭典は還暦を迎えましたが、今度はどのようなドラマや名勝負が展開されるのでしょうか。
参考文献
読売新聞8月25日付
KREVA、椎名林檎、RHYMESTER Mummy-Dらが東京パラリンピック1年前イベントに登場 – RealSound|リアルサウンド
https://realsound.jp
身体障害