発達障害グレーゾーンBOYとおっさん新米パパの8年~後編「俺の人生どん底」

発達障害

◀過去の記事:発達障害グレーゾーンBOYとおっさん新米パパの8年~前編「会話は通じるけど、心が通じない気がする」

息子が小学生の時、一度だけ学校で怒りをあらわにしました。終わりの会が始まって日直が注意しても騒ぎ続けるクラスメートに、息子も注意をしたところ無視されたようです。振りあげたこぶしを先生が後ろからそっと制してくださいました。

「気持ちはわかるよ。でも叩いたら自分も同じになっちゃうからね」

最初のひとことが共感だったことに安堵しました。「正義感のあらわれなので絶対に叱らないでください」と念を押されました。

「心のストライクゾーンを広げてみよう」

息子とのコミュニケーションについて道筋を示してくれた本が「発達障害を持つ子の『いいところ』応援計画」です。子どもの問題点を指摘して直そうとするよりも「大人が少し視点を変えるだけで、あるいは気配りするだけで」子どもたちが笑顔を取り戻せるといいます。

読み終えたあと、私と夫にあてて4つのメッセージを書き、目につきやすいよう冷蔵庫に貼りました。

  • 1.質問形式のコトバで責めても、伝わらない、わからない。
  • 2.「~しないで」じゃなくて、「~しよう」と声をかけよう。
  • 3.「しっかり」「ちゃんと」って何?
      具体的にどのぐらい、どうすればいいか伝えよう。
  • 4.心のストライクゾーンを、あとちょっとだけ広げてみよう。

「心のストライクゾーン」とは、著者の阿部利彦氏によると相手を受け止める「気持ちの幅」のようなもの。これを広げると、子どもの「いいところ探し」ができるといいます。

私にはADHD(注意欠如多動性症候群)の傾向もあります。息子への態度が気まぐれで一貫していなかったり、反射的に大げさな反応をすることが少なくありません。常に落ち着いた人間になれる自信はありませんが、できそうなことから始めました。

たとえば「いつまでゲームやってるの!?」は「もうすぐ晩ごはんだからテーブルを拭いてね」、「走らないで!」は「家のなかでは歩いてね」といった具合に実際にしてほしい行動を伝えるのです。

後日、メッセージの余白に小さな男の子の似顔絵と息子の名前が書き加えられていました。「こんな風にしてほしいって思ったから?」と尋ねると、息子は照れたように笑って「うん」と短く答えました。

目先の面白いことしか見えていない

「三国志」の漫画に熱中すると、息子はすべての登場人物の死因と享年を覚えて得意げに披露します。なぜ死因と享年に興味を抱いたのかわかりませんが、おばあちゃんの手術が心に残した影響ではないかと感じました。物語でも現実でも「感動したことが一度もない」という息子ですが、彼なりの心の揺れがあったのでしょう。

利発さを発揮する一方で、朝から晩まで下ネタの替え歌を歌って踊る幼稚な部分は相変わらず。叱られても、言葉尻をとらえてふざけるばかりです。片付けるよう靴下を渡すと投げて返し、いつの間にかキャッチボールになってしまいます。

わたしの声は大きい方ではありませんが、驚いたり物を落としたりすると反射的にものすごい大声をあげてしまいます。息子がいきなり「わっ!」とあらわれ、「わっ!」とわたしがさらに大きな声。「声でかい!」とふたりで夫に叱られる。ADHDに関する著書の多い司馬理英子氏によると「ADHD的な傾向を持つお母さんは反応が大きいので、つい子どもにもてあそばれてしまうこともある」ようです。

ふざけて言うことを聞かないのは、親を馬鹿にしているのではなく、目先の面白いことしか見えていなかったり注意されたことを忘れてしまうから。靴の紐が結べないといった不器用さと同様に、息子の特性であることを何度も夫に説明しました。

「こんなに無邪気で他愛ないかわいい子、いないよ」というわたしに、しだいに夫も共感してくれるようになりました。

グリーフケア

息子について夫に話すと、「俺の子どもの頃は」と話題が追憶の旅に出たきり帰ってきません。笑顔で聴き続けますが、毎回となると「夫の心には過去の思い出しかないのでは」と不安に感じてしまいます。

子どもの話をするときは、子どものことを心にかけてほしいと伝えました。話が過去へ飛ぶことは減りましたが、夫の表情と反応が目に見えてなくなりました。ある日、とりとめのない会話のなかで「子どもの頃どうだった?」と聞くと、「昔の話するなってゆうたやろ!」と言い捨てて夫は煙草を吸いに出かけました。

カウンセリングを経て、過去の話に流れがちなのは「話せる相手として見てくれている」と気づきました。高校卒業と共に故郷を出て働き続け、数年前に両親をなくした夫。子どものころの話をすること自体が、グリーフケアなのかもしれません。

グリーフケアを広める一般社団法人リヴオンの尾角光美氏によると、「グリーフ」とは「大切な人、ものなどを失うことによって生じる、その人なりの自然な反応、状態、プロセスのこと。そこから乗り越えるものとか立ち直るものではなく、抱きながら歩むものとして見られるとすこし楽になるかもしれない」とのこと。

大切な人を失った思いを夫が話したいとき、そばでただ聴くことしかできないけど、それができる存在でありたい。そう思えるようになりました。帰省のたびお母さんとコーヒーを飲んでとりとめのない話をしていたこと、「短気は損気」といつも言われていたことなど自然に話してくれるようになりました。

再婚のせいだけでなく、わたしには自分が否定されたり見捨てられたりすることへの不安が強く、傷つけられたことにとらわれやすい傾向があります。そんな自分の弱さも、あらためて実感できました。

「俺の人生どん底」

仕事の再開とPTA役員、息子のスポーツ少年団も重なり、わたしの心身が日に日に壊れていきました。やりたかった仕事を再開できたのに思うように進まないもどかしさと、言いようのない身体の痛み。当時はこれといった診断名もつかなかったので免除申請もできません。

怒りをぶつけても無表情な息子に「わたしがいなくなった方がええんちゃうか!」「心がないんか知らんけど」などと言い放ってしまいました。「心がないは、ないんちゃうか。こうやって聞いてるし」冷静な言葉が返ってきましたが、なんてひどいことを言ってしまったのだろうと悔やまれてなりません。

「ごめん、やっちまった…」ある日、憔悴しきった表情で夫が帰宅しました。長年勤めた会社をやめたとのこと。燃え尽きた心身を休めるため無表情で家にいる夫に、息子は何も言いませんでした。どんなに苦しんでいるか彼なりに感じるものがあったのでしょう。

ちょっとした行き違いから夫が息子に声を荒げてしまうことも、たびたびありました。怒った夫が散歩に出たあと、ちょっと強引に後ろから息子を抱きしめました。「思ったこと、うまく伝えられなくて苦しい?」と尋ねると首を振ります。

「夜のパパは、すぐ怒るから嫌い。やってないことを、やったと決めつけて怒る。毎日3回ぐらい嫌いになる。思いを伝えるのは、面倒くさいからしない」もう少し聞かせてと言うと、息子はキッチンタイマーを1分にセットしました。

人間関係をリセットしないと夫がうつから抜け出せないようだったので、引っ越しを決めました。息子は何度も泣いて必死で反対します。入学した校区なら友達とおばあちゃんがいるから行くと言ってくれましたが、探しても探しても家がみつかりません。その隣の校区へ引っ越すことになりました。

引っ越しの3日前、学習机に見慣れないノートを見つけました。1ページ目につづられていたのは、息子の心の叫び。すぐ夫に見せて、ふたりで泣きました。

俺の人生どん底。また怒られた。
何もかも全て俺がわるい。
こんな俺がクズじゃなければ。
俺なんて、生まれなければ良かったのに。
毎日が地ごく。この世から消えてなくなりたい。

怒りの後ろにある本当の気持ち

毎日ボール遊びに興じていた息子が、転校後は家でゲームか読書ばかり。別人のように無表情になってしまいました。

「痛っ!」と夫の大声。息子の開けたドアが夫に当たったようです。「そんなんで痛いなんて気楽やな!」ものすごい剣幕で息子が言い返します。

「転校を一生恨む」「俺が死んだら親を恨む」転校を説得した私への恨みつらみを、息子は毎日爆発させました。怒りは二次的な感情で、その後ろにある本当の気持ちをわかってほしくて必死で訴えているのだと、カウンセリングを通して学びました。

夏休みに入り毎日おばあちゃんの家へ行くことで、息子は明るさを少し取り戻しました。前の学校の仲間にも電車で何度か会いに行きました。私の体調が安定せず、ひとりで行かせてよいものか迷いましたが、カウンセラーが背中を押してくれました。「成長のためひとりで電車に乗ることも練習になります。失敗はむしろしておいた方がいいですよ」

経済的には苦しいけれど予算を上げて、もう一度入学した校区で家を探そう。息子に持ちかけると、目を輝かせて賛成しました。夫が再就職先で大けがをしたので、息子とふたりで不動産会社や物件を回り、この年2度目の引っ越しが実現しました。

昔の仲間が息子を覚えてくれていたおかげで、すぐに輝きを取り戻した息子。その後わたしが体調を崩し、寝たきりに近い生活が半年近く続きましたが、夫と息子が活躍してくれたおかげで乗り越えることができました。

切り裂き事件

ある日、お気に入りのコートの襟が切り裂かれていることに気づきました。息子に聞いても知らないとの一点張り。

息子が小さいころ好きだったうぐいす豆入りのパンを買い、焼きたてをふたりでちぎってほおばりました。「絶対に怒らないから話して」と何度も言うと、ぽつりぽつり話し始めます。叱られてゲームを没収された腹いせにコートの襟を切ったとのこと。「怒ってる?」と聞かれたので「怒らないけど、とても悲しい」と伝えました。

修理代にと全財産を渡されました。全ては受け取れないのでいったん返したあと、襟が隠れるフェイクファーのマフラーをクリスマスに買ってもらい「ありがとう!」で締めくくることが出来ました。

「今の方がかわいい」

働き方改革と会社の業績不振の影響か、夫の出勤時間が1時間半遅くなりました。朝のあわただしい時間に夫と息子がそろうことに初めは不安を感じましたが、毎朝夫が卵焼きを作ってくれるようになりました。毎日が下ネタ替え歌大会になるのは相変わらず。大声で言いあったりじゃれあったりですが、話せば通じることが増えました。

子どもの寝顔を見ながら「大きくなっても無邪気で他愛なく話しかけてくれる。こんなにかわいい子おらへんで」と言うと、夫はくすっと笑います。「おかしい?」と聞きました。

「いや、かわいいよ。今の方がかわいい。昔は本気で腹立ってたけど、今はそこまでいかへん」

小さな男の子はかわいかったけど、負けん気が強くて挑発的。のんびり穏やかなはずの夫が何度も逆上していたことを思い出しました。思春期はどうなるのか不安でたまらなかったけれど、以前より家の空気が穏やかになった気がします。

参考文献

「発達障害を持つ子の『いいところ』応援計画」 阿部利彦 ぶどう社 初版9刷

「のび太・ジャイアン症候群5 家族のADHD・大人のADHD お母さんセラピー」司馬理英子 主婦の友社 初版1刷

「グリーフとは」サイト名「一般社団法人リヴオン」
https://www.live-on.me

おさんぽ

おさんぽ

適応障害、うつ病を経て、2019年に双極性障害と自閉症スペクトラム障害(アスペルガータイプ)の診断を受ける。ライターとウェブサイト校閲の経験があり、文章を書くこと、原生林を歩くこと、南の島で泳ぐことが好き。

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