ADHDの私は自分を無能だと思っていました
発達障害ADHDの私は自分を無能だと思い込み、時間を守れず、興味がないことにも集中できなかった当時、小中学校でいじめに合い、不登校になり、ついには引きこもりになった私。どのような心情の変化で引きこもりから脱したのか。その体験をありのままに書いてみました。
小学生のときの私
私は小学生のとき自分を無能だと思っていました。当時の私は時間を守ることも、興味がない事に集中することも、できませんでした。親には「人として当たり前のことだ、そんなんだと社会では生きていけないぞ」などと、ずっと言われ続けました。また、不注意や時間を守らなくて目立ってしまうのが悪いのか、感受性が強くリアクションを大げさに取ってしまうのが仇となったのか、いじめの対象にもなったりしました。
中学生の時の私
中学生のとき、私は不登校気味になりました。学校に行く価値を感じなくなったからです。学校で習う勉強が大人になったときに何の意味があるのかわかりませんでした。学校で試されているのは、自分に不必要なものを必要だと強要し、それにどれだけ従えるかを試す、いわゆる協調力テストを試されているようにしか感じませんでした。学校で私を待っているのは無価値に等しい勉強と、理不尽ないじめだけでした。しかし、この頃から自分の感情をある程度制御できるようになりました。感情が表に出すぎるのが一変無表情を装えるようになりました。いじめても無反応だから面白くないと思わせることが成功したのか、中学3年の頃にはいじめはほとんどなくなりました。ただいじめがなくなってもどれだけ感情を表面上でごまかしても、心には癒えない傷が残っていました。
高校生の時の私
高校生の時、私は人との関わりを極力避けるようになりました。人と関わっても何もいいことなんてない、私が欲しいのは静寂と平穏でした。ただずっと一人でいる方が不幸に見舞われることもない、そう思っていました。高校にいかなければまともな職に就けない。その理由だけで入った高校は私には無意味に感じました。
そして引きこもりへ
高校を卒業した後、私は引きこもりになりました。2年間殆どの時間を家で過ごしました。ほとんどの人が引きこもりの時間は無意味だと答えるでしょう、しかし、この2年は私にはかけがえのない大切なものを見つける2年間になりました。何故なら、この引きこもりの2年間には私を否定する存在がいなかったからです。その時に私は誰にも干渉されずに、沢山の考えを巡らせることができました。まず、自分が無能だと思っていることはほんの一部分を見ているに過ぎないこと、不注意や時間を完全に治すのは不可能でそれは誰にでもあること、そしてその失敗に必要以上に落ち込んだり、学校が無価値に感じるのは、自分がただ完璧主義者で多くを求めすぎていただけだという事、本当に治すべきなのは自分の無能さや不注意や時間を守ることではなく、自分を許すことなんだとそう気づけました。そういう考えを持ってから、私は自分を必要以上に責めることをしなくなりました。不注意を気を付けたり時間を守るのは勿論そうではありますが、もし失敗しても感情で解釈せず、次に失敗しない方法を自分なりに見つける、それが大切なことなんだと考えられるようになりました。
そして現在
そして引きこもりのときを経て私は今、就労移行支援事業所に通い、コラムを作成しています。学生のときは考えられませんでしたが、今の私は確かに自分を認めることが出来ていて、それが引きこもりを脱するきっかけになっています。
このコラムを見ている方のなかにも自分を過度に責めすぎる人がいると思います。ですがそこで感情だけで見ずに、自分を遠くから見てほしいのです。そうすれば自分の悩みが実は簡単に解決策が見つかるものだったり、悩むほどのことでもなかったりするのです。どうか自分を責めず自分を認めてあげてください。許してあげてください。そうすればきっと今より楽しい人生が待っていると思います。
注意欠陥多動性障害(ADHD)