私は親に障害を誤解されていた~一体どうすれば障害を正しく理解されるのか?
発達障害中学生のときADHDと診断されたが、親の理解を得られず、誤解されてしまった私。どれだけ説得しても理解を示してくれないのは何故か。親に障害を理解してもらうために自分なりに考察し、社会全体での障害の認知の低さについて指摘してみました。
ADHDと診断された私は安堵した
私は中学生の時にADHDと診断されました。それは親から告げられて初めて知った事実です。その時の私の心情は決してネガティブなものではなく、納得のいく、そして安心感を感じるものでした。今まで他人と違うことをしてしまうのには、原因があるのだと分かったからです。そして私は親にも理解されるものだろうと思っていました。しかしその期待は簡単に脆く崩れていくものでした。
親は理解してくれなかった
診断を受けた後ADHDのことを調べ、興味がないことへの集中力の欠如や時間を守るのが苦手なことなどを説明しました。そして家族に言われたのが「それ私にもある」です。そしてその言葉に続きこのような言葉を返されました。「苦手なことがあるならそれを努力しないと治らないぞ、努力できないのは障害のせいじゃなくて心の甘さからくるものだ」と言われました。私はその言葉を聞いた時、ただ失望したのを今でも覚えています。
お互いの間で生まれた勘違い
一体どうすれば彼らに障害を正しく認知されるのでしょうか?私はその後も諦めずに説明を試みるのですが、結局全て失敗に終わっています。私は親の言っていたことをまとめて見ることにしました。すると理解されない理由が見えてきました。まず親は私がやればできる人間だと思っている事です。実際に私は時間を間に合わすことや不注意を人よりは多くてもある程度の緩和はできます。しかしそれは努力ではなく、精神的に良好な状態であったのが理由であること、親は努力と思い、私はたまたま状態が良かった、ここにお互いの勘違いがありました。何故その勘違いが起こったのか、それは明らかに知識不足から生まれたものです。これは親が単に知らなかったというより、障害全体に対しての認知の低さを感じました。
一体どれだけの人が精神障害や知的障害に対し正しい理解を示しているでしょうか?私は今までに一度たりとも精神障害や知的障害についての情報を習ったことも聴いたこともありませんでした。そしてそれは私の家族にも同じように当てはまっていました。
解決策は実は簡単な事だった
これから先どうすればこの誤解が解けるのか、それは障害者をかわいそうな存在としてみて、距離を置くことではなく、かといって健常者と同じように接することでもなく、どういった障害を持ってるのかを理解しそれに対する正しい理解と解決策を持つことなのです。障害を甘えや努力不足としてみるのではなく、その人の個性としてとらえること、たったそれだけのことなのです。
これからの社会
家族や社会の人たちから、個性が淘汰されるのなら、それに誰かが救いの手を差し伸べることができる。これが今後の社会全体の目標になるのではないでしょうか。
障害のメリットとデメリット両方を個性と捉え、お互いがその個性に理解を示したうえで会話ができる。それが今後の理想になってくるのではないでしょうか。お互いの勘違いで不幸にならないために、もっと障害の事を知ってもらうために、社会全体が理解を深めていく必要があるように思います。
注意欠陥多動性障害(ADHD)