私の振り返り~発達障害と人生でつまづいたこと

発達障害

出典:Photo by Jesse Bowser on Unsplash

多くの人に当てはまると思いますが、人生で上手くいかなかったときの記憶に目を向けたくない傾向はあります。しかし、あえて掘り起こして、そういったエピソードを中心に書き出していくことにしました。ネガティブな反省会ではない方がいいと思うので、人生の足跡として整理していこうと思います。

人生の振り返り

親から聞く話では小さいころの自分は落ち着きがなかったそうで、ADHD(注意欠陥多動性障害)ではないかと疑った時期もあったそうです。そういった話を聞いていたおかげで後に気付けたわけですが、子供のときに診断をもらわなかったのは自分にとって、よかったのか悪かったのか、どちらとも取れません。

他にも、子供のころから何かに熱中する性質が強かったようで、小学生になるあたりからテレビゲームに夢中でした。それさえあればいいという勢いで好きで、放っておけば1日中やっていそうなため、中学生になるまでは親から1日の時間制限を受けていました。

そんな私ですが、年齢が上がるにつれて少しずつ落ち着いてきたものの、忘れ物は頻繁にしていました。小学校の音楽の授業で忘れ物をして、授業内で借りにいくよういわれ、借りるのが苦手でどうしようかと困り果てていた記憶が強く残っています。

そういう発達障害特有の性質はあったものの、勉強自体はできるタイプでした。多少ずれたところはあったかもしれませんが、基本的に大きな問題はなく学校生活を過ごしていました。

しかし、高校2年生の終わりごろにある問題が唐突に現れました。それまではなかった「試験勉強をやりたくない」という気持ちが強く湧いてきたのです。そんな状況が続き、結局は解決はできず、ほぼ勉強ができないままで、やり過ごすことになりました。

それでも、大学受験に向けては気持ちを切り替えられたのか、黙々と塾で勉強に励み、センター試験もよい点数を取ることができました。

ですが、二次試験までの期間に気分転換していたタイミングで、母親に勉強をするようにしかられたことをきっかけに、再び心が勉強を受け入れない状態になってしまったのです。結果として二次試験も上手くいかず……と思いきや、センター試験の点数も含めたそれまでの積み重ねた分で、どうにか第一志望の大学に合格していました。

運よくつかむことができた大学生活は楽しく過ごせていましたが、やはり試験勉強には身が入らず、友人たちと一緒に勉強する時間を活用して、どうにか最低限の単位は確保していました。しかし4回生からの研究室に馴染めず、意欲が落ちたこともあり、大学院の試験には落ちてしまったのです。

そもそも大学院にいきたい理由も特にはっきりしていなかったため、そこで一念発起し就職する方針に変えました。ただ、数社を受けてみた段階で、このタイミングと期間では厳しいと感じたため、次の年から仕切り直すことにしました。そうして、推薦ももらった上でですが、次の年にどうにか希望した企業に就職することはできました。

就職後は色々と問題が見え隠れはしながらも、どうにか日々を過ごしていました。ですが、2年経ったあたりで、どうにも性格が合わないタイプの人と仕事をすることになりました。ストレスが限界に達し、心療内科を受診することになったのです。うつ症状が出ていたので、向精神薬を処方してもらうことになり、それで日々をどうにかやり過ごしていきました。

一番辛い時期には苦痛を耐えるために朝の気付けとして、お酒を軽く飲んで出社してみたり、電車内でビール缶を片手に、涙を流しながら帰路に着いたりしていました。休日や趣味の時間では元気なときも多かったのですが、うつ状態だったのは明白です。

その時期もどうにか乗り越えたあと、2年ほど過ぎてから部署異動がありました。しかし、異動先の部署の部長がパワハラ気質なタイプで、私は直接的にはあまり受けていなかったのですが、そういうのを見ることでじわじわと精神的に病んでいきました。

体調が悪化する中で、勤務状況がボロボロだったのもありますが、業務内容もしっくりこないことを直属の上司に伝えていたので、別部署への異動の提案をもらいました。新しい部署で、気持ちも一新して仕切り直そうとしました。しかし、新しい業務がうまくこなせず、生活リズムの乱れに加え睡眠障害も抱えていたようで、1日のほとんどで居眠りを繰り返す日々の後に休職をすることとなったのです。

数か月の間に休養を取りつつ、睡眠障害の治療もしっかり受けました。その後の心療内科でのリワーク期間も経て、復職できるのではないかと思って挑戦したのですが、嫌な思い出が頭に残っているのか調子が上がらず、休職期間の期限もあることで厳しいと判断して退職しました。

これらの問題の裏にあることとして、頑張るべきであるとは分かっている学業や仕事に対して、集中できず我慢が効かなくなっていったことがありました。どうしても気持ちの上で趣味を優先しすぎてしまうのです。ADHDに起因する「興味のあること以外にはやる気が出ない」という部分が大きく出ていたように思います。

退職後から現在まで

休職期間中に発達障害への理解も深まったのに加え、このまま自分だけで再就職までたどり着ける気がしないことから、退職後は就労移行支援事業所に通うことを決めました。

事業所内の研修を受ける中で自分の課題を自覚できたのが、まず大きなポイントでした。「業務報告などが苦手」「速度優先でミスチェックをできていない」などの課題が浮き彫りになってきました。その他にも疲れで体調とメンタルを崩しやすい傾向や、その要因を理解できてきたこともよかったと思っています。

そういった課題に対して、事業所や日々の生活の中で実践し、少しずつ改善することができています。思っていた以上にできていなかったことも多く、1年の間でこれだけ人は変われるものなのだな、という実感があります。

そして何よりも辛かった時期に比べて、精神的にも安定し、日々が充実しているのがありがたいと感じています。

これからの展望

紆余曲折を経て、そろそろ就職活動を開始することも視野に入る時期になりました。過去の経験を踏まえて、興味を持てる仕事内容と人間関係など相性のよさそうな職場環境を軸に探していこうと思っています。

2年のブランクがあることを考えると、やや不安ではありますが、1年間通って成長した部分と就労移行支援事業所のサポートを受けられることは安心できる要素です。

何もつまづくことがなく、順調な人生であれば、よりよかったと思わないわけではありませんが、自分を見つめ直す機会をえられて、立て直せそうな現状を見ると意外と悪くないなと感じます。

他人がそう思うかは別として、改めて自分の人生を見返してみると、意外に面白い人生模様を描いているように思えます。10年後、20年後にそう思うためにも、目の前の日々を楽しく、悔いのないように過ごしていきたいと思います。

茄子野

茄子野

就職後にうつ症状で心療内科を受診し、その際にADHDの診断を受けました。
現在は就労移行支援事業所を活用しながら社会復帰を目指しています。
ゲームやアニメ好きでイラストを描く趣味を社会人になってから始めました。
その他、特撮のウルトラマンシリーズやプロ野球観戦も好きです。

注意欠陥多動性障害(ADHD)

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