統合失調症でも、生きていく~第一章
統合失調症出典:Photo by Sergey Shmidt on Unsplash
幼いころから、神経は過敏なほうでした。統合失調症的な感覚を意識しはじめたのは、小学校3年生ごろからだったように思います。 当時「起きてしまうと今日1日のどこかで何か嫌なことがおこるのではないか」と思い込んで、布団から、なかなか外に出られませんでした。しかし、一歩布団の外に出てみれば"すうっと"その感情は消えていました。
発病
中学、高校、大学では、症状は落ち着いていました。しかし、大学2年のとき、私は選ぶべきではないバイトを選んでしまいました。ファストフード店での接客業、これが私の人生を狂わせてしまったのです。
働いている最中は嫌ではありませんでした。でなければ、2年も続かなかったでしょう。勉強になることもたくさんありました。大好きな友達のグループもできました。しかし、そのグループの中で一番の親友であった子の、何の目的も悪意もない一言が、決定的な引き金になってしまったのです。
私の中にひそんでいた、対人恐怖症と統合失調症の。「私、目を見て話してくれへん人、あかんねん」どんな流れで彼女がそういったのか、今ではもう思い出せません。発作は初めはその子の前でだけでした。そもそも、自分が人の目を見てはなしているかどうかなんて、考えたこともありませんでした。
目を見て話すだけ、それだけで相当疲れました。症状はエスカレートしていき「自分は今どんな顔をして話しているだろう?」「親友は変に思っていないか?」そんな考えしか頭に浮かばなくなっていました。実際、非常にひきつっていたと思います。彼女がたびたび、悲しそうな、不思議そうな顔で見つめてきたから。
だんだん、会うのが怖くなっていきました。接客業も怖くなりました。お客さんが私の顔を見ている、という妄想でいっぱいだったのです。
催眠療法
大学卒業と同時にバイトをやめました。例の親友ともあまり会わなくなり、就職活動にはげんでいると、病気のことは少し軽く感じられるようになりました。面接の際では誰しもが緊張していたからです。しかし、就職氷河期の当時、なかなか仕事はみつかりませんでした。結局、活動を休止し、契約社員として再び、接客業につくはめになってしまいました。そして、ここでも同じ羽目になります。リフレクソロジーの施術の仕事だったのですが、統合失調症、対人恐怖症の症状が強くでるようになってしまいました。仕事上、対面式の体勢なのにお客さんの顔が見れない。最後のあいさつくらいは頑張ろうとしても、顔がひきつってしまう。自己嫌悪の毎日。
とうとう耐えられなくなって、所長の前で泣き出してしまい、そのまま辞職を申し出ました。所長は優しく「知り合いの精神科紹介しようか?」といってくださったのに、若かった私は病気は恥ずかしいもの、病院で治るようなものではないと思ってしまったのです。断ったことは今では後悔しています。あれくらいで治療をはじめていたら、まだよかったかもしれない、と。
働いていたころ、私はほとんど夜以外、家にいませんでした。仕事の後、街をウロウロしたり、休みの日は部屋にこもるようになっていたのです。そんな私が仕事をやめたあと、家の中に居場所などありませんでした。完全に部屋にひきこもり、朝までネットで病気を治す方法をさがしていました。家族と一緒に食事をしても、父の質問に適当に答えるだけで、ここでも家族の顔が見れないという悲劇が起こっていました。
そして、ある日また私は愚かな選択をしてしまいます。駅前の貼り紙にくらいついたのです。
「対人恐怖症は1日で治ります」
藁をもつかむ思いで早速連絡をとり、1人の男性の部屋を訪れました。その人も過去に精神病を患い、"先生"と呼ばれる人の作り出した自己催眠術で、自分は病気が治ったといっていました。しかし、その"先生"は遠方におり、その人が雇われで代理をしているとのことでした。とりあえず、やりかたを教えてもらい「家に帰ってもできるだけ続けてください」と簡単なマニュアルのために一括で15万円を払いました。今だと、見ず知らずの男性の家に1人で訪れるなど、非常に危険な行為だと冷静に判断できますが、そのときはただただ「やっと救われる!」と安易な考えでいました。
家族との和解
家に帰り、両親が寝静まったころ、私は自室で姿見の前に座り、今では思い出せないことを2時間ほど唱えていました。頭の中でいろいろと唱えていると、耳から不思議な声が聞こえてきました。「両親を起こして、仲直りをしなさい」と。
最初はとまどいましたが、確かに今一番の望みは、「もう一度家族の一員に戻りたい」ということだと感じ、催眠療法が効いたのだと思いました。私は、母を起こしにいきました。母はスピリチュアルなことに詳しい知り合いがいたので、きっと信じてくれるだろうと思ったのです。母はすぐに起きて、「どうしたの?」と優しく聞いてくれました。私は「神様のような声が聞こえる」と、まず率直に「私、ずっと前からきっと病気なの。人の顔が見れないし、悪いこといわれてるとか思って、仕事もそれで辞めたの」。母は「そう、それは大変だったね」と、何も私の言っていることを気味悪がりませんでした。
"神様のような声"(幻聴)はずっと続いていました。何をいわれていたのかはもうはっきり思い出せません。ただ、1日半、私は幸せなときを過ごしていました。幼いころと何も変わっていない、母の布団のぬくもり。起きても1日は何もせず、父から母との昔話を聞いたり、買ってきてくれたたくさんのケーキに感動したり。幼児がえり要素があったように思います。しかし、よかったのはここまででした。
幻聴の豹変
その晩、父が先に夕食を食べはじめました。私もと思い、席についたとき、頭は軽い躁状態だったように思います。そんな私に悪夢が起きました。「殺す」
体の全体からさーっと血の気が引く感覚が走り抜けました。「神様は何をいい出したんだろう……?」わけが分かりませんでした「とにかくここにいちゃいけない」そんな気がして、居間のこたつに移動しました。右ななめ横の部屋が兄の部屋でした。そこから体の右半身が黒く染まっていくような感覚にとらわれていったのです。
「殺してやる、殺してやる、お前らなんかずっと殺してやりたかった」
明らかに"私"の思考ではない何かが頭の中でつぶやきはじめました。黒い影はどんどん私をのみ込んでいきます。今度はまたちがう幻聴が聞こえてきました。
「あなたはこの家に産まれてくるべきではありませんでした。あなたはあの世にいってもただ1人きりで永遠に、さまよい続けるでしょう」
「嫌だ。そんなことは絶対嫌だ。1人も嫌だし、影に飲みこまれて家族を殺してしまうのも嫌だ」私は自分の部屋へ走りました。このとき家族が私の異変に気づきはじめます。コンセントを抜いて、そのひもを自分の首へ巻きつけました。
「今、ここで死ななければ、家族を殺してしまう」その一心でみずからの首をしめました。気を失いましたが、そんなに簡単に死ねるものではありません。すでに家族が私の周りを囲んでいました。
「お願い、死なせて!!でないと、みんなのこと、殺してしまうの。嘘じゃないの!!」残された方法はあれしかない。包丁。走り出した私を兄が必死で押さえつけます。「やめて!!お兄ちゃんのこと好きやから殺したくないの!!」「お兄ちゃんもお前に死んで欲しくないから止めてるんだ!!」兄も必死でした。
ですが、一瞬兄の力が抜けたすきに私は台所へと走りだしました。包丁をつかんで、左手首を切る。太い動脈が通っているのが見えました。ここで一旦、私は気を失います。
統合失調症