『受け入れ』れば楽になるの?(『発達障がい~神からの贈り物~』第80回)
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『発達障がい ~神からの贈り物~』 第80回 <毎月10日連載>
蝉の声、焼きつける陽射し、今年もやってきた夏。私の予定表はぎっしり埋まっている。私が最も好きな季節。楽しむ時間が足りない。
いつからこんな風に思えるようになったのだろう?こんな私も過去は長い鬱を経験しもがき苦しんでいた。長い時間をかけて自身を受け入れて行った先にこんなに開けた人生があるとは思わなかった。
『受け入れると人生が楽になる』なんて良く言われるが受け入れとはいったいどういう物なのか?受け入れないといけないものなのか?受け入れれば本当に楽になるのだろうか?今回は受け入れについて少し触れてみようと思います。
私個人の経験として前述したように人生が一変したと言える。他にも同じように感じる仲間も居なくはない。そして受け入れについて話したとき、様々な反応があるが、大きくは3パターンほどに大別されるように感じる。それらが以下。
・受け入れるとダメな人間になってしまうから受け入れたくない。
・受け入れようと思っても受け入れられない。
・受け入れたのに楽にならない。
受け入れとは私にとっても安易なものではなく、10年ほど悩んだ後に仕方なく受け入れたと言うのが実情。だからそのプロセスは大切だと思う。だから一般論として受け入れれば楽になるというような説明を私は避けている。一個人の経験と感想として伝えるように心がけている。
なので今回は私個人が考える受け入れについて述べてみる。
私にとっての受け入れとは現状を把握することと同義かもしれない。私の身長は167cmほどだが、それを等身大で認めることと同じ。できればあと数cm高く170cmあればうれしかったが、そう思う気持ちも現状として認める。
どんなに悩んでも身長は変わらない。背が低いことを卑下する必要もないし、身長を偽る必要もない。しかし体重は幾分努力で変えることができる。なので体型にコンプレックスを感じているなら変えれない身長に囚われず体重やその他の変えられる部分に注力すれば良い。間違っても低身長を受け入れることで背が伸びたりはしない。
私にとっての受け入れはできることとできないことの仕分け作業のようなもの。できないことに執着せずできることに注力する。
私は早口で物忘れが酷く思いつきで行動しやすい。これらも私にとっては変えられないものだと受け止めている。それらを快善しようとはしない。同様に他人からの評価も自分が変えれるものとは思わない。なので自分に正直に生きるだけ。他人に嫌われないような生き方は他人に利用され易い。私も過去はそうやって疲弊していた。
こうして説明してみるととてもシンプルに感じるものかもしれない。しかし先にも述べたが、10年以上の時間をかけてゆっくり自身と向き合いながら受け入れていった結果のこと。受け入れれば楽になるなんて考えるのはよしたほうが良いと思う。私自身も楽になるために受け入れた訳ではなく、仕方なく受け入れた結果が楽になっただけのこと。
ここまで書き進めてきて、これで『受け入れ』がどれほど説明できただろう?私の中でもこんなに簡単に説明できるものではない、と言う気持ちもある。途中何度も書き直して何とか説明できるレベルにはなった程度のようにも思う。
ここまでお読みいただけた方には失礼かもしれないが、これが今の私の能力と受け入れ、しっかりは来ないが今回のコラムとさせていただきます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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