生き辛さの基になる『受け入れ』を阻害するもの。(『発達障がい~神からの贈り物~』第81回)
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『発達障がい ~神からの贈り物~』 第81回 <毎月10日連載>
前回に続き、受け入れについて話します。
やはり生き辛さの渦の中にいる人は受け入れ力のようなものが低いように常々感じます。私自身も受け入れの幅を広げることで人生が開けてきたと感じます。現在も受け入れのトレーニングが日課のようなものかもしれません。
では、何が受け入れを阻害しているのでしょうか?そしてそれは『こだわり』ではないでしょうか?
傍目から、こだわりの強い人ほど受け入れが苦手に見えることがよくあります。
『私はこんな人生が歩みたいんだ』というこだわりは、そうなれていない自身を否定するもの、故に現状の受け入れができない、そう考えれば納得いきませんか?
こだわりの強さとは同時に視野の狭さと頭の固さとも比例しているとも言えないでしょうか?
こだわりとは多くの場合、排他的、つまりそれは他を否定することと同じ。他を否定するとそこには軋轢が生まれる。その軋轢こそが生き辛さではないでしょうか?
私個人の受け入れのトレーニングというものも、自身のこだわりを認知し、そこにある視野の狭さを広げ頭の固さを解すようなもの。思考の柔軟体操のようなイメージ。
では、具体的なこだわりを改善できる方法とはどういうものか、私が行っている方法を紹介して今回はにコラムは閉じようと思います。
人生に関わるようなこだわりなんて簡単に捨てられるようなものではないでしょう。なので捨てられるこだわりから捨てるように私は考えます。
できるだけ小さなこだわりに気づき捨ててゆく。例えば『コーヒーはブラックでないと嫌だ』というこだわりを微糖にもチャレンジしてみる。これは微糖コーヒーへの受け入れであり、視野の広がり、思考の柔軟でもある。
この作業を繰り返すことでやがては人生を左右するような事案も受け入れられるようになる、そういうものだと私は考えています。
実際にこだわりが減れば心のストレスはこれほど減るのかというほど軽くなりました。心が軽くなると様々なチャレンジができるようになった。そして充実の毎日が訪れた。
ぜひお試しください。
発達障害