column9月号 蔑む人に感謝、究極のアンマネ(『発達障がい~神からの贈り物~』第106回)
発達障害
『発達障がい ~神からの贈り物~』 第106回 <毎月10日連載>
この夏、ある気づきから新たなチャレンジを試みた。
それは私を蔑んだり罵る人に感謝するという試み。読者の皆さんには私が何を伝えたいかさっぱり理解できないかもしれませんね。今回はこれらについて話そうと思います。
誰だって蔑まれたり罵られて気分がよくはないですよね。もちろん私も同じです。そんな他人を否定する人に感謝する必要などあるのでしようか?もちろん不要でしょう。しかし、ある時私の中で疑問が湧き出た。
私は他人を蔑んだり罵ったりしない。それは自身の未熟さを露呈するから。どんなことがあろうと他人を蔑んだり罵って良い理由にはならない。まして、それを勝ち誇るような態度で行うなど恥の上塗りのように自身の未熟さを見せつけているようなもの。そんな人は放っておいても人間関係を早かれ遅かれ破綻させてしまう。そんな人に腹をたてるのは私自身も同様に未熟だと認めているかもしれない。いや、これまでずっと憤って自身の未熟さを披露し続けていたのかもしれない。そんな思いから蔑まれても憤らない練習をしようと思い立った訳です。
実際、日常で他人から蔑まれることなどそうそうありません。練習しようにもその機会がなかなかないわけです。そうなるとその機会を与えてくれる人は本当に有り難い存在です。なのでそういう機会があれば、それは感謝すべきですよね。できるか否か判らないが努力しようと考えた訳です。
ほどなくそういう機会が得られた。やはり心の中はカチンと怒りのイグニッションに火が入り憤りのエンジンが勢いよく回りだす。しかし一方でそんな私を俯瞰視しているもう一人の私の存在にも気づけた。そうすると荒波が引くように私の心が静まっていった。私を罵る人がだんだんガキのように見えだした。そして自身の人間性の低さを周りに見せつけて私の実験台になってくれる人が有り難く感じられ出した。
その後想像しなかった変化を知る機会があった。それは周囲の変化。周りの人が私に接する態度がこれまでと全く違うように感じられた。周りから軽んじられなくなったように私自身は感じられた。本当にこれは驚き。やはりこれまでは自身が人間性を貶めていたから軽んじられていたということか?
どちらにせよ、良い経験をさせていただいた。本当に有り難いことです。そしてこれが究極のアンガーマネジメントなのかもしれませんね。私自身の怒りを呼び起こしてくれる人こそが感謝すべき人なのですから。
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