発達障害の二次障害にどう対処すべきか〜幼少期の体験から学んだ自分を許すことの大切さ
発達障害発達障害の人を苦しめるものの一つに、「二次障害」があります。二次障害とは、発達障害そのものや人間関係での傷つきなどによって生じる心身や行動の問題です。不安障害やうつ病等の精神疾患や身体的不調、いじめや不登校、虐待、対人恐怖などがあります。自閉スペクトラム症傾向の強い私が二次障害に苦しみ、その中で何を感じたのか。その想いを幼少期からの体験と共に紹介します。
小学校時代〜いじめと不登校
当時小学生だった私の悩みは、学校での人間関係と勉強でした。同級生に対しては、「絵が下手だ」とか、思ったことをそのまま口に出していました。そのせいで相手を怒らせたり、傷つけたりしたことがあります。同級生が学校行事に真剣に取り組む一方で、当時の私は何をしたらいいのか分からずにぼーっと立っているだけでした。先生や同級生には同じことで何度も叱られました。その時の私は何となくまずいな、と感じてはいても、「相手が怒っている理由」も「なら、どう行動すればいいのか」分かっていませんでした。しかも家庭の事情のため、母方の実家である海外に行き来したため、勉強にもついていけなくなりました。
そうなると周囲は、私を「ダメな奴」とみなすようになりました。先生は、「何でこの問題が分からない?」、「海外に行っていて習っていないからできませんでは通用しないぞ」、「歯が汚い」、と常に私を叱っていました。同級生も、私に冷たくなりました。鬼ごっこでは私ばかりを標的にする。授業の共同作業では、私を仲間外れにする時もあれば、嫌な作業を押し付け、私が失敗すれば怒るか笑うかでした。私の容姿や不器用さに対する悪口もたくさん言われました。辛い日々が続いた末に、私は「不登校」になりました。家の玄関に行くと涙が溢れ、体の震えも止まらなかったあの感覚は、今でも思い出せます。
発達障害の傾向があるゆえに、勉強も運動も人付き合いも、普通にできるはずのことすらまともにできませんでした。そんな私を、母だけは愛してくれました。それでも私は学校に行けなくなりました。辛い学校生活が生んだ心の傷は大きすぎました。母の愛と優しさをもってしても、簡単には癒えませんでした。
留学と中学時代〜自己肯定感の低さ
小学校5年生で不登校になった私は、毎日マンガやゲームで遊ぶだけの、無気力なひきこもりの日々をしばらく送りました。学校に行かなくて済むことに安心する一方で、自分はダメで弱い人間だ、と自分を責めました。いじめを受けたことで初めて私は、今までの自分の言動にも非があったことに気付きました。人に無神経な態度を取り続けておいて、自分だけは被害者のように傷ついていることに、罪の意識すら抱きました。
その後、母方の祖母がいる外国で面倒を見てもらいました。一応小学校にも通いましたが、私は外国語をまったく話せませんでした。幸いだったのは、特技の「お絵かき」を利用して、周囲と何とかコミュニケーションを取っていたことです。おかげで日本の小学校の時ほど辛い目にはあいませんでした。しかしその後、家庭の都合で私は日本に帰国しました。
中学二年生になる前の時期には、別の県に引っ越しました。すると今度は、日本の知らない地域の中学校で知らない同級生と過ごし始めます、そこでも失敗続きでした。中学校での私は「空気を読む」ことができないうえに、学校行事の見通しと効率的な進め方ができませんでした。皮肉や冗談も理解できなかった私は、いつも周りに笑われ続け、副委員長などの仕事を押し付けられたりもしました。自分はなんて頭が悪いのだろうか、と私は自分のことが嫌いでたまりませんでした。日本の学校に居場所を見出せなかった私は、母と姉のススメから、今度はオセアニアの国に留学しました。
高校留学から大学時代〜不安障害になる
留学先では、一人を除き親しい友人を作ったり、誰かと深く関わったりすることもなく、静かに暮らしました。辛かったことは、滞在先のホストマザーが私の英語力の低さや視野の狭さ、友達がほとんどいないことを常に非難していたことぐらいでした。ホストマザーには生活の面倒を見てもらっている感謝がありました。私のために厳しく言ってくれているのに、落ち込むのは失礼だ、と自分を責めました。過去の経験から、何か悪いことが起きた時、多くは私自身に非がある、と思い込むクセがついてしまっていたのかもしれません。
とはいえ、良いこともありました。今度の留学先の学校では、多様な人種の学生が通っているため、私のように勉強や言語にハンデキャップを抱える人向けの授業がありました。外国人の私にも親身になってくれた先生にも恵まれ、学校で初めて褒められたことは本当に嬉しかったです。おかげで成績も急に伸び、帰国子女枠で日本の大学入試に受かることもできました。
帰国後に、日本の大学に入った私ははりきっていました。以前よりも言葉も勉強もできるようになり、相手を気遣う姿勢も身についてきたからです。これなら日本の大学でもやっていけるだろう。勉強に励みながら、仲の良い友達と楽しく過ごせる、と信じていました。しかし現実の私は、「人と何を話したらいいのか」まったく分からず、友達付き合いのやり方を学んでこなかったツケが回ってきました。いじめられることはなく、同級生とも仲良くしていたものの、それ以上仲を深めることはできませんでした。私自身が昔から他人に興味を抱けない特性も、関係していたと思います。
入学二年目の冬には、同級生のささいな言動で傷ついたことや「発達障害」の本を読んでいたことが重なり、私は心療内科に受診しました。今まで感じてきた「生き辛さ」の正体は、発達障害によるものではないか。そう疑った私は、発達検査を受けるついでに人間関係や不安の強さの悩みについて、主治医に相談しました。結果、発達検査では発達障害の「傾向がある」ということだけ聞かされ、処方されていた抗不安薬が合っていなかったのか不安障害を発症しました。不安障害の発作や薬の副作用に苦しみ、障害者でも健常者でもない自分の立ち位置に悩み続けました。幸い母は服薬や通院に理解を示してくれたことや、話を聞いてくれたおかげか、今の私は薬なしで生活できています。
まとめ
大変長文になりましたが、以下にまとめます。
・発達障害者は、人間関係や周囲の不適切な対応によって生じる二次障害に苦しんでいること。
・人間関係での傷つきや失敗経験の積み重ねによって、自己肯定感の低下や精神疾患や不調に繋がるリスクが非常に高いこと。
・生きづらさは、本人の努力や親一人の愛情だけをもってしても、解消することは簡単ではないこと。
・二次障害で苦しむのは、「自分には価値が無い」という思い込みや、苦しみを周囲に理解されない「孤独」であること。
発達障害のある方は、ただでさえ一人ぼっちで苦しんでいる人が大半です。発達障害と二次障害で苦しんでいる方がいれば、どうかその方の「苦しみ」を「気にし過ぎ」、の一言で片づけないでください。「辛かったんだね」、という一言だけでも、私達にとって救いになります。そして、二次障害で今も苦しんでいる方は、どうか自分を許してあげてください。今はそれが難しくても、いつか少しずつ自分を許すことができます。あなたの苦しみに理解を示す仲間と味方は必ずいてくれます。
最後までご拝読ありがとうございました。
発達障害 自閉症スペクトラム障害(ASD)