高校での挫折(~もしかして障がい特性のせいだった?)
発達障害 暮らし私は高校生の時に進学した高校に馴染めず、学校には行くが教室には入れないという状態になりました。その後、単位の関係で通信制高校に転校し無事に高校を卒業しました。この体験、実は、自分の障がい特性とも関係しているのではと思い、当時を振り返りたいと思います。
空気読み過ぎて選んだ学校なのかもしれない……
私が進学した高校は、私の出身地では名のある進学校でした。また、私の父もいとこもその学校の卒業生です。そのような環境の中で育ち、小学校の低学年から私もその学校に行くものだと思い成長していきました。そして、成長していくうちに、親戚や近所の人からこのような言葉をかけられる事が増えていきました。
「お父さん、頭が良い人だし、あなたも成績が良いから、お父さんと同じ高校に進学するんでしょ。」
この言葉をかけられるたびに、嬉しい半面、父と同じ高校に行く事を期待されているんだという想いが強くなっていきました。今思えば、そんなことは期待されていないということは分かるのですが、当時は無意識に期待されていると思っていたのだと思います。そして、その幻想の期待に過剰適応する形でひたすら勉強し、高校受験を迎え、見事その高校に合格してしまったのです。
つらい学校生活
やっと、高校に受かった!高校生活楽しむぞ!と意気込んだその年の4月の始め、私の体調に変化が起こります。朝からめまいや吐き気に襲われるようになったのです。高校の保健室からの勧めもあり、病院で検査をしてもらうと「起立性調節障害」という診断を受けました。アスペルガー症候群の女性は思春期以降に体調不良を訴えることが多い様ですが、この時期の体調不良もアスペルガー症候群の特性として表れていたのではないかと思います。
また、その高校は授業の進みが早く、授業を欠席するとどんどん授業についていけなくなり、授業自体が苦痛になっていきました。この授業でもアスペルガー症候群の特性の1つである「こだわりの強さ」が表れていたのではないかと思われるエピソードがあります。高校でははとんどの授業で宿題が出ていました。宿題が出るのは当たり前の事かもしれませんが、その量が大変多かったのです。その上、宿題が次の授業の予習となっており、宿題をやらないと授業についていけない様になっていました。一方、私は授業も休みがちで、まず宿題をするために必要な知識も分かりませんでした。しかし、「宿題の問題を全部やらなければいけない」というこだわりから、必死に宿題をやりました。また、宿題の問題を解くだけではなく、なぜ、その答えになるのかも考えないといけないと思い、1つの授業の宿題を3時間近くかけてやっていました。当然、次の日のすべて授業の宿題は終わりません。「完璧に出来ない宿題で授業には行けない」というこだわりから授業に行けず、また授業についていけなくなるという悪循環に陥っていました。
環境が変わった事で落ち着いたこだわり
今思えば、授業に出れなかったのは強いこだわりがあったからかもしれません。ですが、通信制高校に転校すると授業も分かりやすくなり、そのこだわりもはぼなくなりました。授業についていけていた中学生の時もこだわりはほぼありませんでした。このこだわりという特性は自分自身が追い詰められた状況下において強く出てくるものなのかもしれません。
私はこの体験を無駄なものだったとは考えていません。この経験が無ければ、出会えなかった友人や体験が多くあるからです。 そして、「コラムを書く」という経験が無ければ、この体験を自身の障がい特性という観点から見る事も無く、「ただの失敗」「運が悪かった」と簡単に片づけていたと思います。
もし。心に余裕がある時、自身の挫折体験を振り返って見る事も良いのではないでしょうか、今まで見えてこなかった発見があるかもしれません。
アスペルガー症候群