発達障害と分かった時に何を考えたか

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この記事では、私が診断を受けてどう思ったのかという内容です。また、何故そう思ったのかを、診断されるまでの過去を振り返るような形で説明しています。いじめの描写がありますので、その点はご注意ください。

始めは意外と……

私は大学を休学中に、発達障害と診断されて、頭に浮かんだのはホッとしたという感情でした。こういうと意外かもしれませんが、それは私が障害を診断された状況が大きく関係しています。

当時、私は大学を嫌がらせが原因で休学していました。授業内でのプレゼンを丸々押しつけられてしまったのです。こういった嫌がらせは、大学生以前にも受けてきました。具体的に言うと、小学生の頃は、ばい菌扱いをされ、中学生の頃は殴られました。高校生の頃には、財布を盗まれるという金銭的な被害を受けたこともあります。幼少期からこのような嫌がらせを受けてきたので、とうとう我慢の限界が来てしまったのです。

こうして、精神的に限界が訪れたのは大学生の頃でしたが、自分が何かおかしいのではないかと疑問を持ち始めたのは中学生の頃からでした。私は、中学校に入学した当初、これでもう嫌がらせは受けないだろうと考えていました。小学生の時に受けていた嫌がらせは、それ以降の嫌がらせと比べて最もひどく、いじめとまで言えるレベルでした。しかし、いじめの中心メンバーが、違う中学校へ通うことになったのです。これでもう嫌がらせが無くなると、私や両親は安堵していました。しかし、違う小学校から来た子供の一部が私に嫌がらせをし始めました。このような経験により、自分が何かイジメを受ける原因を作りだしているのではないかと考え始めたのです。それを突き止めるために、中学生の頃はスクールカウンセラーに通っていました。しかし、芳しい結果は得られませんでした。

それ以降も、自分の行動や思考に疑問を持ったまま生きてきました。このように、長年悩んできたことに、休学して初めて答えが出たのです。ですから、発達障害と診断されてホッとしたのです。

答えは出たけど……

しかし、ホッとした感情は長くは続きませんでした。それには、3つの原因があります。

まず1つ目に、発達障害であることが分かったからと言って、それは本当の解決にはならなかったからです。物事の原因が分かることと、その対策が出来ることはまた別の問題です。発達障害であることが分かっても、これ以上嫌がらせを受けないために何をすればいいのかは分かりませんでした。そのヒントになりそうなものは、就労移行支援事業所で得ることが出来たのですが、そこに通い始めるには様々な紆余曲折がありました。

2つ目に、私にとって辛い事実が検査の過程で分かったことです。具体的に言えば、私は養育を受けていた時期があったのです。つまり、幼少期から私は発達に偏りがあったという事です。しかし、養育により一定の基準をクリアしたため、通常学級に入学させたという事を、障害の検査の過程で母は証言しました。この事実が分かっていれば、私の中学校や高校の選択は大いに違ってきたのではないかと考えています。自分の障害を最優先にして、志望校を選択したはずです。たらればを考えても仕方のないことは分かっていましたが、それでもつらい気持ちになってしまったり、何故知らせてくれなかったのかと両親を恨むこともありました。

3つ目に、発達障害の基準自体もあいまいな所があることです。精神障害者福祉手帳は、2年ごとの更新制です。見方を変えれば、更新しないことで自分を健常者とすることも出来るといえます。また、私は2回検査を受けたのですが、それぞれ診断名が違います。1度目は広汎性発達障害で、2度目は自閉症スペクトラム障害でした。このように、基準が明確ではない事に、当時は強い疑問を持っていました。

発達障害であることを初めて知った時に考えることは、人によって違うとは思います。これはあくまでも一つの例ですが、何かの参考になれば幸いです。

チビ

チビ

大学生の時に、広汎性発達障害であると診断され、数年後の診断では自閉症スペクトラム障害と診断されています。今は、就労移行支援事業所で、就職に向けて様々な訓練を受けています。拙い文章ではありますが、皆さんのヒントになれば幸いです。

発達障害 広汎性発達障害 自閉症スペクトラム障害(ASD)

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