10年間の体験談~私が就労移行支援事業所に通い始めるまで
発達障害出典:Photo by Bud Helisson on Unsplash
このコラムは、私が発達障害の診断を受けてから就労支援事業所に通い始めるまでの、約10年間の体験談です。私は小学生のころから友達と遊ぶことを優先して宿題をやらないことが多く、いつも怒られながら放課後に居残りしていました。それは高校生になっても続きます。
診断を受けたきっかけ
高校1年生の学年末に、多くの課題が未提出の状態で単位が足りず、このままでは進級ができないという状況になりました。最終的には進級でたのですが、先生方には提出期限ぎりぎりまで待っていただいて、毎日放課後に残って課題をしていました。
この時、母からも進級のことを心配されて病院に行ってみないかと説得されました。病院は中学生のときの担任の先生からすでに紹介されていたそうです。当時の私は自分が「障害を持っているかもしれない」ということを受け入れられなかったのですが、母や先生に「もう迷惑や心配をかけさせたくない」と思い診断を受けることにしました。
診断結果は注意欠陥多動性障害(ADHD)でした。障害者手帳もこの時発行しました。診断されても受け入れられず、自分の障害名も特性もほとんど理解しないまま大学1年生まで通院と服薬をしていました。
大学に進学して
大学はいわゆる情報系の大学で、そこでMicrosoft Officeやプログラミング、PhotoshopやIllustratorなどの使い方を学びました。これは現在の就職活動でも活かせています。
大学生活は順調に進んでいたので通院も服薬もしなくなったことから、2年生に進級した頃に障害者手帳は返納してしまいました。
ですが、3年生でまた問題に突き当たります。就職活動です。私は面接がとてつもなく苦手で、就職活動が本当に嫌でした。案の定、面接でつまづき、全く進みませんでした。
就職活動をしていると、面接や説明会の予定が急に入ったりして大学の講義に出られないことも増え、学業もおろそかになっていきました。このままだと就職どころか卒業が危ういと思った私は、親やゼミの先生に相談して学業に専念することにしました。
卒業後、アルバイトをはじめる
卒業後は就職が決まるまでのつなぎでアルバイトをはじめました。しばらくはバイトをしながら休日にはハローワークに通い、気になる求人があれば応募して面接を受けるという生活をしていました。
ですが、就職活動は半年ほどで辞めてしまいました。理由は一向に受かる気配がなかったことと、アルバイト先は人手が足りておらず、シフトは月に約20日、勤務時間もフルタイムで入れていたので収入は十分あったからです。
アルバイトを始めて1年経ったころ、新人がたくさん入ってきて、収入が最初のころの3分の1ほどにまで激減しました。私はこのとき少し浪費癖がついていて、急に収入が減っても浪費をやめられず、次第に出費が収入を上回るようなりました。原因は自分が使った分のお金を、自分で把握できていなかったことだと思います。それでも浪費をやめられず母親にお金を借りることもありました。
「このままではまずい」と思いクレジットカードやスマホのキャリアを解約して就職活動を再開しました。浪費癖は抑えられましたが、面接への苦手意識がなくなっているわけがないので、面接選考に落ちる度にどんどん悪化する一方でした。
そんなときに母が就労移行支援の話を持ち出してくれたのです。就労移行支援事業所では自分の苦手分野を練習できて、就労のサポートをしてくれると聞いて興味を持ちました。私は他人に障害のことを話したことが無かったので、少し抵抗はありましたが、通ってみることにしました。
就労移行支援を受けるために、もう一度病院で診断を受けて障害者手帳を再発行しました。働くことが難しい人が国から支援を受けて通うサービスなので、働いてるとダメなので3年間続いたアルバイトもやめました。このころにようやく自分自身の障害を受け入れることができるようになっていたのです。
大学卒業から3年
体験利用を経て正式に通うことになりました。現在は面接練習や、自分自身の障害特性や特徴を研究して自己理解を深めています。自分に必要な配慮や、今まで気が付かなかった自分自身の特性、就労にはどんなことが必要なのかなど、通いはじめてから知ることがたくさんありました。スタッフのサポートがとても厚く、通い始めてよかったと心の底から思います。
おわりに
10年経った今は、自分の障害を受け入れることができ、家族にも理解してもらっています。苦手だった面接も、練習したおかげで1つ選考に進むことができました。就職まではまだ遠いですが、無理せず少しずつ頑張っていこうと思います。
注意欠陥多動性障害(ADHD)