努力は裏切らない~「先天性色素失調症」の私の体験談

その他の障害・病気 身体障害 発達障害

出典:Photo by Mohamed Nohassi on Unsplash

私は生まれてすぐに障害があるとわかりました。「先天性色素失調症」という遺伝性の発達障害です。その症状のひとつに知的障害があります。このことを親から伝えられたのは大人になってからでした。

出生から学生時代

今思うと、私のやりたいことは基本的に「ダメ」で母親の言うとおりに生きてきました。そんな私の最初の異変は眼です。ものをすごく近くで物を見ていたようです。また、それまで立たなかったのに、1歳半になり突然立って歩きだしました。

4歳から保育園に通い出しましたが、友達ができないまま卒園をしました。今思えば当時、家で親や姉弟とも話していたことがなかったです。小学校へ入学しても基本独りでいました。気付けばひとりでいじめられていました。

何でも自分の中に閉じ込めていく性格になり、無意識に自傷行為(私の場合、爪をかむ行為)をしていました。小学校のいじめは高校生まで続きました。

気付けば小学校高学年に。母親から苦手な算数を教わりましたが、何度同じ問題を解いても間違っていました。そんな小さなことが重なり、中学生になった時に「どうして私だけ」と思うようになります。

中学生になると学校でも家でも誰にも話さなくなり、環境はさらに悪くなりました。家も学校も居づらくなっていったのです。学力はドンドン下がる一方で「なんでできないんだ」が親の口癖でした。数学の先生にもテスト返却時「なぜ解けないんだ」と言われました。しかし、自分が興味の持ったこと、好きなことは没頭してうまくできていました。

希望が見えた高校時代

高校生になり、私の人生に小さな光が見え始めました。入学してすぐ中学の数学が解けるようになったのです。高校1年の時の担任の先生が数学担当で、テストのたびに褒められました。

体育も苦手でしたが、再試験を受けた時に、どこが間違っているのか気づけませんでした。しかし、高校生になってどこが間違っているのか教えてもらい、できるようになりました。その時に言われた言葉が今でも私の心に残っています。

「普通の人が当たり前のようにできることができないのなら、その人たちの2倍3倍努力すればいい。結果は必ず出る」

それから苦手な体育も頑張るようになりました。1年の2学期末試験で学年で19番になりましたが、親は褒めてくれませんでした。むしろ「学年で1ケタ取れ」と言われました。1年の最後の修了式の通知表を担任の先生から渡された時に「よく頑張った。体育だけ惜しかったな」と褒めてくれました。

2年生に上がりもう1人、人生に影響を与えてくれた先生に出会いました。「教室が嫌ならいつでも逃げてこい」と初めて逃げ道を作ってくれた先生です。

卒業後、母のすすめで看護学校へ行くも1年で留年し、中退しました。私は母親を責めることはしなかったです。

病気を知ってから

看護学校中退後はアルバイトをたくさんしました。初めてしたアルバイトは同じミスを何度も繰り返し、仕事も人間関係も上手くいきませんでした。

その時に初めて私は病気のことを知りましたが、そこまで驚くこともなく受けいれることができました。高校の時の体育の先生の例の言葉が思い浮かんだのです。

その次にしたアルバイトは接客で8年勤めました。トレーニングではミスなくこなすので一目置かれましたが、いざ開店してみると日に日に他人と実力に差が出てきました。「なんでできないんだ」と言われる日々。過去、黙って見てることが多かったので、他人がミスをしても見て見ぬふりをしていました。見ていても報告しない私に上司は「何で報告しないんだ」と叱りました。

仕事ができても「できたという実感」がありませんでした。それでも「いつかできる」と信じて、自分に言い聞かせていました。「仕事ができない」と陰でいわれながらも仕事は基本1人でこなすことが多かったです。年月が経てば経つほど人に仕事を頼むことができなくなっていきました。

新人教育も任されていましたが「伝えること」ができませんでした。私は臨機応変が苦手だったため、言い方がキツイと言われてきました。気付けば私は他店へ異動となったのです。

そこで少しずつ変わっていました。異動先で職場の人と挨拶するようになったのです。辞める2年前にようやく自分の才能を開花します。今まで苦手だった頼みごともできるようになり、最初は焦っていたことも周りに気遣いの一声をかける余裕がもてるまでに成長できました。

おわりに

「頑張る」にもきっかけが必要です。私の場合、できなかったことができた時に褒められると頑張れます。人より時間はかかりますが、ワンポイントアドバイスあるだけでも全然違います。自分でやり方を考えるのが苦手なうえ、人とコミュニケーションを取ることが苦手だった私ですが、ちょっとしたきっかけで話しかけることができました。

「できない」「普通じゃない」と言われ続けられればやる気もなくなります。威圧的な態度や言葉では委縮してしまいます。私は自分がやられて嫌なことはやめようと思えるようになり、相手に合わせた方法で連携を取ることができるようになりました。

今では「頑張りすぎるから無理はしないで」と言われるようにまでなりました。「頑張ることは決して無駄じゃない。結果は必ず出ます」

参考文献

【小児慢性特定疾病情報センター 色素失調症】
https://www.shouman.jp/

ミルクティー

ミルクティー

発達障害、知的障害、適応障害とたくさんの障害を持ちながら、今は明るく過ごしています。
ミルクティーの由来は私のやる気を出す時、気持ちを切り替えたいときに飲む私の相棒のような存在です。

身体障害 発達障害

関連記事

人気記事

施設検索履歴を開く

最近見た施設

閲覧履歴がありません。

TOP

しばらくお待ちください