自閉症スペクトラムと私~人生という名の列車の旅
暮らし 発達障害人生は列車の旅に似ています。どんな列車に乗り、どんな人と乗り合わせ、どんな時間を共有するかは様々です。人によっては目的地までのルートも違えば、スピードも違います。私の半生と自身の発達障害について書かせていただきます。
他人との違和感に気づく
私が「他の人と何か違う」という違和感を初めて感じたのは、小学校低学年くらいだったと記憶しています。同級生が言う冗談が分からなかったり、それを本気と捉えてしまって集団でも1人だけ浮いていました。友達が発した面白い話に共感できず、なぜ周りが笑っているのか不思議でした。場の空気を壊さないために作り笑いをするのは、決して楽しいものではありません。「自分は他人とどこか違う」という悩みは年齢に比例して大きくなっていきました。
中学、高校に進学しても、周りとのコミュニケーションに違和感を抱えたまま、悶々とした日々が続きました。図書館で心理学の本を借りては読み、何が自分を苦しめているかの原因を模索していました。しかし明確な答えは出ないまま、短大に進学して社会人となりました。今思い返せば、親に決められたレールを走る列車から見えた景色は、そんなに美しいものではなかったように思います。いつも孤独で灰色がかった空を見つめていた、そんな学生時代でした。
仕事ができないという焦りと不安
問題が一気に表面化したのは、社会人になり働きだしてからです。業務指示に対して適切に動けないため、何度も注意され、怒られ、同僚が何事もなく仕事をスムーズに呑み込んでいる姿を見るたび、落ち込み、焦り、苦悩しました。相手の意図を正確に受け取れず、思い込みで行動してしまったのです。社会人になると複雑なコミュニケーションに対応できる力が求められるため、私は周囲に合わせるために必死でした。
ようやく希望の列車に乗れたかと思えば、障害の特性が原因で対人関係にトラブルを抱えがちになり、途中下車つまりは転職しては乗り換えを繰り返していました。同年代の友人が快速急行のように人生の階段をスイスイと上っているのを横目に、私は仕事でつまずいて焦っていました。周囲に追いつくため、次は特急列車に乗ろうと生き急いだこともありましたが、どうしても同じ問題が立ちはだかり上手く進めません。仕方なく途中下車をしては次の列車を待つ、そんな社会人生活を送っていました。
診断を受けた直後の心境
3年前のある日、合わない仕事をしたため心身共に限界に達し、うつ病を発症して心療内科を受診しました。そして検査の結果、広汎性発達障害と診断されたのです。ようやく「これまでの違和感の原因」が判明したのです。診断を受けたとき、列車が長いトンネルをようやく抜け目の前に明るい光が差し込んだ気がしました。
やっと原因が分かって「よかった」という安心感に包まれました。しかし、その次の瞬間「障害者としての自分」と向き合うこの先の日々に対して恐怖を感じたことを、昨日のことのように覚えています。「もう原因を探さなくていい」という解放感と、「これからどう生きていこうか」という問題に直面した緊張感が入り混じっていました。
自己理解の重要性
現在は就労移行支援所に通いながら、自己理解に努めています。自分が思っている自己像と、他者から見た自分の間にはギャップがあると知ったのは新たな発見です。また、定型発達の人のように振る舞い、周囲から浮かないよう擬態する癖があることも対人面で疲れる原因となっていたようです。それと今後どう折り合いをつけていくか、今は模索中です。
自分のことを自分が一番よく知っているつもりでいましたが、実のところ他人のほうがよく知っている場合もあります。仕事ができないという烙印を押されて、自己肯定感が低くなり、自分を正しく認知することが難しい状況にあったのも原因の1つかと思われます。
まとめ
人生はまるで列車の旅のようです。隣に座る乗客も変わります。私が乗ってきた列車は、時に運転を見合わせたり、また運転を再開したかと思えば途中下車を繰り返しています。これまで多くの人と様々な景色を共有し、それが自身の貴重な体験として蓄積されてきました。これからの車窓から見える景色はどんな風でしょうか。終着駅の手前で降ろされることもあるでしょう。路線図を見ながら乗り換える人生の旅はこれからも続きます。どんな風景と出会えるか楽しみでもありますが、目的地だけは明確でありたいと思っています。
広汎性発達障害