普通になりたくて努力した私~発達障害と診断されて
暮らし 発達障害出典:Photo by Anthony Tran on Unsplash
「普通の人」「普通の生活」「普通の人生」。普通という言葉は世の中にごく当たり前のように使われています。では「普通」の定義とは具体的にどのようなものでしょうか。幼少期から大人になる過程で、私は周りから見ると少し異質な存在でした。周りの人が思う「普通」になりたくて苦しんだ体験を書いていきます。
小学校時代の思い出
私は3年前に自閉症スペクトラムと診断されました。自閉症スペクトラムは「臨機応変な対人関係が苦手で、自分の興味関心、自分のこだわりを最優先させたい本能的志向が強い」ことが特徴です。
私の障害特性として、以下の3つが挙げられます。
・1人でいることを好む
・対人交流が受け身
・冗談やユーモアの理解が難しい
小学生のころは、集団の中にいることよりも1人で過ごす時間の方が楽しくて、友達と喜怒哀楽を共有するよりも、1人妄想の世界で遊んでいる方が幸せでした。いつも孤独と仲良くしていたのです。
思春期の葛藤
中学、高校時代も1人でいることを好む傾向は変わりませんでした。放課後に同じクラスの友達からアイスクリーム屋に行こうと誘われても、私だけ断って先に帰ったこともあります。集団の中にいるよりも、家に帰って1人で好きなことをして過ごす方が有意義とすら思っていました。
自分はなぜ、友達のように仲間と集まって楽しく過ごすことが、苦手なのかわかりませんでした。自分では普通にしているつもりでも、周りが思う「普通」とはどこか違うことを、感じていたのです。社会人になって
学校を卒業して一般企業の事務員として働き始めました。入社してしばらくすると、会社の人に「あなたは変わってるね」と言われることが増えました。
社員旅行への誘いがありましたが、気分が乗らなくて丁重に断りました。プライベートを削ってまで参加したくなかったのです。その結果、会社の先輩から「組織に属しているのだから周りに合わせるのが普通ですよ」と優しくたしなめられました。
その会社での「普通」の定義は「個性を出さず慣例に従うこと」で、それを美徳としていました。出る杭は打たれるのです。私はその考えを受け入れることができませんでした。むしろ「なぜ個性を尊重しないのか?」それが疑問でならなかったのです。そして、相手の「普通」を押し付けられた私は、自分の「普通」との折り合いに苦悩するようになってしまいました。
アイデンティティの喪失と奪還
私はやがて「普通」になりたくて周りの様子に合わせ過剰適応するようになってしまいました。長年の過剰適用によって性格が変わった部分もあります。例えば小学校時代はとても暗かった性格が、社会人生活が長くなったころには「少し明るく」なっていたようです。しかし「普通の人」よりも「普通」であろうとがんばって、かえって不自然な振る舞いをしていました。その結果、本当の自分がよく分からなくなったのです。「どこまでが本当の自分で、どこからが過剰適応により作られた自分なのか」の境界線がハッキリしません。相手の定義する「普通」という異物を上手に消化できず、ついには消化不良を起こしてしまいました。そして、うつ病を発症したのです。
私は過去に3回うつ病を発症しましたが、初めの2回は20年近く前のことです。当時は発達障害と診断されませんでした。ここ10年ほどで発達障害という言葉の認知度が高まり、それをメディアで知って自分も当てはまるのではないかと専門医に診てもらった結果、自閉症スペクトラムと診断され、私のうつ病は二次障害と判明したのです。
「本当の自分」を取り戻すには、相手から押しつけられた「普通」という異物を、無理に取り込むことを止めようと決めました。まとめ
これまでの半生は私の障害の特性によって、対人関係でいろいろな問題を抱えていました。何気なく使っている「普通」という言葉ひとつとっても、場所や時代、使う人によってその意味はさまざまです。これからも発達障害と生涯を通して付き合っていかねばなりません。その事実をしっかり受け止めた上で、生きづらさを軽くするための方法を今も模索中です。今回書かせていただいたコラムを通して、皆さんが「普通とは何か?」を考えるきっかけになれば幸いです。自閉症スペクトラム障害(ASD)