「普通の人」になりたかった~発達障害やHSPと付き合っていく
発達障害 その他の障害・病気出典:Photo by Amanda Dalbjörn on Unsplash
HSP気質や発達障害を持つ私は、周囲からの刺激に敏感で、周りの目が気になって仕方がないという特性があります。
そんな私には「普通」という言葉や感覚に、ひどく囚われていた時期がありました。「普通の人」になりたくて苦しんでいた私の経験をご紹介します。
周りの目が怖い
いつも周囲の人にどう思われるか考え、不安で怯えて生活をしています。親しい友人や家族、全く知らない他人、地球上全ての人からの私に対する評価が怖いのです。
行動の指針は「普通」であるか否か、ということ。周囲に変に思われないようにと、過剰に「普通」を演じていました。
コミュニケーションの不安と苦悩
一番気をつかうのは人とのコミュニケーションです。人に会う前には、こんな話をしようとエピソードトークをいくつか準備したり、話の展開をシミュレーションします。毎晩のように脳内で反省会を開いて、あの時こう言えばよかった、あの発言はタイミングが悪かったなどなど、考えてなかなか寝付けません。どんなにシミュレーションをしていても、上手くいったと思えることは、ほとんどありません。
そんな調子で、私の頭の中は四六時中フル回転しています。そのため、頭も心も疲れた状態が日々続いていきます。
みんなは自然に、簡単そうに会話ができているのに、どうして私はこんなに大変で、とても疲れているのだろうと、苦しい思いをしていました。
病気が与えてくれた気づき
あるとき、私はうつ病を発症し「普通」を追い求める気力もなくなってしまいました。
仕事を辞め、外出を避け、人とのコミュニケーションは、ほとんどなくなってしまいます。そんな自分に嫌気が差し、自己嫌悪で、気分はどんどん落ち込んでいきました。
しかしそのことで、人の目を気にせず「普通」に縛られない生活は「気楽だ」というようにも感じたのです。
その結果、引きこもり期間は長くなってしまいました。けれども、うつの症状が回復し、外出できるようになってから「普通」を演じなくても過ごせる機会が少し増えました。
周りの目を気にしなくなった、という訳ではありません。他人にどう思われているのか不安ですし、今でも頭の中で、反省会やシミュレーションは行われています。
それでも、ある程度「普通ではないけど、まあいいか」と諦められるようになったのかもしれません。「諦める」というのは、マイナスなイメージの言葉ですが、諦めることができて少し心が軽くなり、救われたように思います。
おわりに
私は病気になってしまってから「無理をせずに諦めてもいい」ということに気がつきました。もっと自分を大切にできていれば、よかったのにと、後悔することもありますが仕方ありません。これから無理せず気楽に生きていこうと思います。
そもそもよく考えると、私のなりたかった「普通の人」なんて、どこにもいないのかもしれません。顔も、話し方も、考え方も、みんな違っているのですから、気にしていても仕方がないのです。
とはいえ、周囲の視線が気になることは、障害や気質が原因のものなので、これからもなくなることはないでしょう。自分自身の障害や気質と一生付き合っていくために、自分が少しでも楽に生きることができる考え方や方法を、これからも探していきます。
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