「双極性障害」とともに成長してきた20年間~絶望から希望のひかりを見出すまで
双極性障害(躁うつ病)出典:Photo by Grant McIver on Unsplash
双極性障害を発症してから20年あまり。「双極性障害」という病気を理解し、自分と向き合おうと決心した日。「病気になったことは不運ではあるが、不幸ではない」と考えられるまでに成長し、再就職を目指して奮闘する現在までの道のりを追います。
発症から現在まで
私はいまからおよそ20年前、双極性障害という病気を発症しました。社会人になって半年がたったころです。
その間、自殺企図をはかり、5度の入退院を経験しました。また、入院はしませんでしたが、1年間休職したときもありました。
入院、再発、休職をくり返したのち、最終的には離職にいたったのです。
5度目の退院からちょうど4年になる現在、再就職を目指して就労移行支援事業所に通っています。
「双極性障害」という診断
発症してからおよそ15年後、2度目の入院のときに初めて自分の病気が「双極性障害」であることを知りました。
私の場合「抑うつ状態が強くなり、やがて、日常生活に支障をきたす」というパターンで再発をくり返していたため、最初に診断された「うつ病」を疑いませんでした。
「双極性障害」であると知ったとき、少しショックは受けましたが、病気について調べたり、主治医に話を聞いたりすることはありませんでした。関心がなかったのです。
病気と向き合う決心
退院からおよそ1年後、離職してしまいました。
離職してからの1年間で3度の入退院をくり返し、およそ8か月間を病院で過ごしました。
3度のうち、2度目の入院は半年を越えたのです。このとき初めて、自分の病気についてもっと知りたいと思い、自分で調べたり、主治医に話を聞いたりして少しずつ知識を増やしていきました。
しかし、それはあくまでも「双極性障害」に関する一般的なものに過ぎません。
一口に「双極性障害」といっても、症状は個人によってさまざまです。一般的にいわれていることが自分にあてはまるとは限らないのです。
そもそも私は、自分の病気について全く理解していませんでした。
要するに「自分の症状や体調を崩すきっかけ」「どういったストレスに弱いのか」「どうやったら回復していくのか」なにも分かっていなかったのです。
ひとり暮らし
半年間の入院生活中、主治医から「ひとり暮らしをしてはどうか?」という提案がありました。年齢的にもいいタイミングだと思い、退院すると同時にひとり暮らしを始めました。
1か月後、再び体調を崩し、入院しました。原因は、初めてのひとり暮らしを"張り切り過ぎた"ことだったのです。
退院後、ひとり暮らしを再開すると同時に、デイケアへ通い始めました。
体調変動の波は何度も襲ってきました。そして、いったん抑うつ状態に入ると、なかなか浮上することができず、短くても1か月、長いときには半年におよびました。
それでも、入院はせず、ひとり暮らしも続けていました。
自分で食事を用意できず、親に助けてもらったことは何度かあります。しかし、実家に泊まったことは一度もありません。
「自分で生活できなくなる」それは、私にとって入院することを意味するからです。
自分と向き合う日々
ひとり暮らしをすると決めたからには、「どんなことがあっても自分で生活する」それが私なりの覚悟です。
「二度と入院したくない」その強い思いが、いつも、どん底一歩手前で私を踏みとどまらせました。
しかし、ひとりで過ごすということは、否が応でも自分と向き合わなければなりません。いつ終わるとも知れない、つらく孤独な闘いでした。
一方で、デイケアへの通所は続けていました。デイケアでは、さまざまなプログラムに参加しました。勉強会、ダンスセラピー、創作活動、料理、認知行動療法、ストレスケアマネジメント、就労支援など。
また、1日6時間の共同生活を通じて、いろいろな立場のメンバーとコミュニケーションをとりました。
デイケアで過ごしていくなかで、自分の症状やストレスへの対処方法、思考のクセ、認知の修正などについて、少しずつ理解を深めていきました。
また、よい人間関係の築き方、コミュニケーションの取り方を学んでいきました。
日々の生活のなかに、取り入れくり返し実践することで、少しずつ、自分の病気とうまく付き合うことができるようになっていったのです。
希望のひかり
環境にも恵まれました。両親をはじめ、主治医、デイケアのスタッフやメンバーなど、私は多くの人に支えられてきました。
かつては「なぜ、私だけがこんな目に合わなければならないのか?」「なぜ、ふつうに生きることができないのか?」と何度も絶望しました。
しかし、自分と向き合い、病気を受け入れていくなかで「この病気になったことは不運ではあるが、不幸ではない」と考えられるようになったのです。
病気になったからこそ出会えた人たち。病気になったからこそ分かるようになった痛みや気持ち。人として、大きく成長した20年です。
そして今、再就職を目指し、就労移行支援事業所に通っています。20年間私を見守り続けてくれている両親に、再就職した姿を見てもらいたいという思いを胸に、日々奮闘しています。
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